あなたに嫌われたいんです
なるほど、同居するうえでのルールというわけだ。私は頷いて聞く。理人さんはサラサラと話をつづけた。
「僕は仕事も忙しいので、週に何度かハウスキーパーに入ってもらってます。このまま続けていいですか?」
「ああ、通りで部屋がピカピカなんですね。お願いします、私家事とか一切できなくて」
小さく嫌な女ポイントをぶち込んでおく。でもやはり、理人さんは何も表情を変えなかった。
「分かりました、じゃあ食事などもそれで。これがうちの家の鍵、それと質問なのですが、京香さんはお仕事は続けるんですか? 確か、ご実家の会社に勤めているとか」
ぐっと押し黙る。これは聞かれるだろうなと思っていた。
本当に嫌な女なら、すぐに仕事なんか辞めて贅沢三昧するのが正しい姿だ。でも、結婚する気はないし、何より母が残したあの会社は辞めたくない。それだけは譲れない。
私はなるべく平然を装って言った。
「辞めたいんですけどねえ。まあお小遣い稼ぎで行ってもいいかなーって思って、辞めるつもりはありません」
「小遣い? そんなの稼がなくても僕が何とかしますよ」
「え、あ、えーと、うち人手も足りないからすぐにはやめれないっていうか」
「それは会社の都合です、僕からあなたのお父様に掛け合いましょうか」
「ああーーーっと、ですね!」
こんなに食いついてくるとは思わなかった。焦りから額に汗が浮き出てくる。会社は辞めたくない、でも、『母が残してくれた会社で働き続けたい』って、ちょっといい話みたいに聞こえるから言いたくない! 好感度が上がるかもしれない行動は何一つしてはいけないのだ。
「暇つぶし!」
「暇つぶし?」
「暇つぶしです、仕事なんて。あは、適当ーにやってるだけなんですけどねえ? 仲いい友達もいるから、辞めなくてもいいかなって思ってるんです」
この瞬間に考えた理由としてはいいんじゃないか、と自分をほめたたえた。
仕事を軽視している発言。八神の人間ならきっと眉を顰めるだろう。これはいい流れかもしれない、どうだ。
ちらりと理人さんを見た。すると、彼は笑みを消し、じっと私を見ていたのだ。今までずっと笑顔を絶やさなかった彼のそんな顔に、心臓が大きく鳴る。
きた、これはきたかも。怒った? 失望しました? 結婚は無理ですよね、そうですよね!
ドキドキしながらその顔を見上げる。だがしかし、次の瞬間彼はにっこり笑った。そして優しい声で言ったのだ。
「分かりました、じゃあそうしましょう。京香さんの自由にしてくれればいいんです」
「え……」
「これ、僕のカード渡しておきます。必要なものは何でも買ってきてください。あ、明日はまた二人で色々買いに行きましょうね」
ポケットから取り出した黒いクレジットカードを机の上に置いた。つい二度見してしまう。今日会った女に、カードを託すだと? この人、大丈夫か。
でもそんな指摘ができるわけもなく、無言でそれを受け取った。正直、人様のカードなんて持ってしまってひどく緊張している。落としたら大変だ、基本は部屋の引き出しに入れておこう。
「まあ、気兼ねなく過ごしてくれればいいんです、しばらく一緒に暮らせばお互いのことがわかるでしょう。それから本格的な結婚の話をしましょう」
「は、はい」
「明日は街に出ます。どんなものが欲しいのか、考えておいてくださいね」
それだけ言うと、理人さんは立ち上がった。スラリと長い足が見えてつい見とれてしまう。一体何等身なの、この人。顔もいいし、こんな人と形だけとはいえ婚約者なんて信じられない。
彼は一度私を振り返り、言う。
「ちょっと仕事があるので、自室にいます。好きに過ごしててください」
それだけ言い残すと、理人さんはリビングを出て行った。私は一人残され、置物のように固まる。
家主がいなくなったことで、居心地がさらに悪い。きょろきょろとあたりを見渡し、落ち着かない体をさすった。
「僕は仕事も忙しいので、週に何度かハウスキーパーに入ってもらってます。このまま続けていいですか?」
「ああ、通りで部屋がピカピカなんですね。お願いします、私家事とか一切できなくて」
小さく嫌な女ポイントをぶち込んでおく。でもやはり、理人さんは何も表情を変えなかった。
「分かりました、じゃあ食事などもそれで。これがうちの家の鍵、それと質問なのですが、京香さんはお仕事は続けるんですか? 確か、ご実家の会社に勤めているとか」
ぐっと押し黙る。これは聞かれるだろうなと思っていた。
本当に嫌な女なら、すぐに仕事なんか辞めて贅沢三昧するのが正しい姿だ。でも、結婚する気はないし、何より母が残したあの会社は辞めたくない。それだけは譲れない。
私はなるべく平然を装って言った。
「辞めたいんですけどねえ。まあお小遣い稼ぎで行ってもいいかなーって思って、辞めるつもりはありません」
「小遣い? そんなの稼がなくても僕が何とかしますよ」
「え、あ、えーと、うち人手も足りないからすぐにはやめれないっていうか」
「それは会社の都合です、僕からあなたのお父様に掛け合いましょうか」
「ああーーーっと、ですね!」
こんなに食いついてくるとは思わなかった。焦りから額に汗が浮き出てくる。会社は辞めたくない、でも、『母が残してくれた会社で働き続けたい』って、ちょっといい話みたいに聞こえるから言いたくない! 好感度が上がるかもしれない行動は何一つしてはいけないのだ。
「暇つぶし!」
「暇つぶし?」
「暇つぶしです、仕事なんて。あは、適当ーにやってるだけなんですけどねえ? 仲いい友達もいるから、辞めなくてもいいかなって思ってるんです」
この瞬間に考えた理由としてはいいんじゃないか、と自分をほめたたえた。
仕事を軽視している発言。八神の人間ならきっと眉を顰めるだろう。これはいい流れかもしれない、どうだ。
ちらりと理人さんを見た。すると、彼は笑みを消し、じっと私を見ていたのだ。今までずっと笑顔を絶やさなかった彼のそんな顔に、心臓が大きく鳴る。
きた、これはきたかも。怒った? 失望しました? 結婚は無理ですよね、そうですよね!
ドキドキしながらその顔を見上げる。だがしかし、次の瞬間彼はにっこり笑った。そして優しい声で言ったのだ。
「分かりました、じゃあそうしましょう。京香さんの自由にしてくれればいいんです」
「え……」
「これ、僕のカード渡しておきます。必要なものは何でも買ってきてください。あ、明日はまた二人で色々買いに行きましょうね」
ポケットから取り出した黒いクレジットカードを机の上に置いた。つい二度見してしまう。今日会った女に、カードを託すだと? この人、大丈夫か。
でもそんな指摘ができるわけもなく、無言でそれを受け取った。正直、人様のカードなんて持ってしまってひどく緊張している。落としたら大変だ、基本は部屋の引き出しに入れておこう。
「まあ、気兼ねなく過ごしてくれればいいんです、しばらく一緒に暮らせばお互いのことがわかるでしょう。それから本格的な結婚の話をしましょう」
「は、はい」
「明日は街に出ます。どんなものが欲しいのか、考えておいてくださいね」
それだけ言うと、理人さんは立ち上がった。スラリと長い足が見えてつい見とれてしまう。一体何等身なの、この人。顔もいいし、こんな人と形だけとはいえ婚約者なんて信じられない。
彼は一度私を振り返り、言う。
「ちょっと仕事があるので、自室にいます。好きに過ごしててください」
それだけ言い残すと、理人さんはリビングを出て行った。私は一人残され、置物のように固まる。
家主がいなくなったことで、居心地がさらに悪い。きょろきょろとあたりを見渡し、落ち着かない体をさすった。