あなたに嫌われたいんです
 別に気分を害することはなかった。私は無言でワインを手に取り、ゆっくりそれを飲む。別にこっちだって結婚するつもりはないのだよ。

 だが言い返したのは、意外にも理人さんだった。彼はやや声を低くさせ、榎本さんに言い放ったのだ。

「独身ももうすぐ終わりそうです。私は彼女と結婚したいと思っているので」

 ワインを吹き出すかと思った。まさか堂々と言うとは思ってなかったのだ。昨日会ったばかりで、全然相性も分かっていないというのに。

 それでも理人さんはなお続ける。

「素晴らしい女性に会えたので喜んでいるところです。独身ともお別れできそうで嬉しい限りですね」

 そうにっこり笑って榎本さんに言った。彼女はその発言を聞き、一瞬ぽかんとする。自分が断られたのに、私みたいな平凡な女が上手くいくなんて思ってもみなかったのだろう。

 瞬時に顔を真っ赤にさせ目を吊り上げた。震える声で理人さんに言う。

「さ、最後は結局こんな人を選ぶんですか? 私の時はすぐに帰宅して断りの連絡を入れてきたのに? 全然美人でもないし地味な……男の人は最後は結局、こういう六十点ぐらいの女を選ぶんですか?」

 プライドを傷つけられた彼女はそう怒った。レストラン内の客が異変に気が付き、こちらを注目し始める。私は持っていたワインをそっと置いた。

 六十点の女とは、いい表現をするではないか。自分でもそう思っている。初対面の自信過剰な女なんてどうでもいいと思っていたが、生憎自分の性格は、売られた喧嘩は買うタイプなのだ。こういうところが今まで男性に敬遠されてきた。こんな発言をされて黙ってるのもイライラするし、私の反撃に理人さんが引いてくれれば最高だ。

 何か言いかけた理人さんを制し、私は体の向きを変え、彼女に向き直ると、にっこりと笑顔を作った。榎本さんは驚いたように目を丸くする。

「初めまして六十点の女です。ですが、私は初対面の人間に地味だ、などと呼ぶような品のかけらもない発言はいたしません。社会人としてのふるまい方を教わってこなかったのですね、可哀そうに」

 本当に哀れんだ目で見てやった。相手は、赤かった顔をなおさら真っ赤にさせ、熟したトマトのようになる。まあ、私のこの対応も、十分品がないのは承知の上だ。

「な、な……!」
 
 何かを言おうとしたとき、先に笑い声が響いた。驚いてそちらを見てみると、理人さんが一人で目を線にして笑っていたのだ。全然笑うところではないと思うのだが、一体何が彼のツボに入ったというのか。

 目に涙を浮かべるぐらい笑いこけた彼は、しばらくしてようやく声を出す。

「京香さん、さすがです」

「え?」

「榎本さん。京香さんが60点なら、あなたは2点ですよね」

「にてん?」

「分かっていますか。その人は八神の人間になる人ですよ。
 そんな相手にあんな発言をして……どうなるか分かってるんですか?」

 そう言った理人さんは、じろりと榎本さんを睨んだ。見ている私も心臓が冷えてしまいそうな、冷たい目だった。男前という武器にプラスして、威厳のようなものすら感じ取れた。ついどきりとしてしまう。
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