あなたに嫌われたいんです
「京香、お前にとってこれ以上ないいい話だろう。あの八神グループの息子と結婚、会社だって立て直せる」
「どうせ父さんの経営方法を何とかしないと、また同じことを繰り返すだけだよ、すぐまた傾く!」
「次はうまくやるとも」
「無理に決まってるでしょ! それに、万が一会社が立て直せたとして、私が嫁いだら、父さんのあとは一体だれが継ぐっていうの?」
息荒く興奮してる私とは違い、父は不思議そうに私を見ていた。ダイニングテーブルで向かい合い、先ほどから口論が続いている。父の背後にあるソファには、義妹の梨々子が座ってスマホをいじっていた。さらにその隣は義母が雑誌を読んでいる。自分たちには関係ない、という顔が最高に苛立った。揺れる自分の長い髪にすら苛立ち、乱暴にかき上げる。爪で頭皮が痛んだ。
次の瞬間、父はぷっと噴き出して笑った。場にそぐわぬ笑い声に、私は唖然とする。
「何?」
「お前、本気で会社を継ぐつもりだったのか?」
「え?」
「元々京香には継がせるつもりなんてなかった。継ぐとしたら梨々子だ」
男は平然とそう言ってのけた。
勢い余って立ち上がる。椅子が派手に倒れた音が聞こえた。
「何言ってるの? あの会社は、おじいちゃんが……そして、お母さんが頑張って大きくしてきた会社だよ。なんで梨々子が!」
「可愛げがないお前は経営に向かない。梨々子の方が合ってる」
つい、離れたところにいる梨々子の方へ目をやった。
彼女はこちらを見て、意味深に笑う。もしかして、父の意思を前から聞いていたのだろうか。
でも妹は、大学に通ってはいるが、遊びまわって勉強をしている素振りなんてない。こんなやつが、おじいちゃんとお母さんの会社を継ぐだなんて絶対に許せないと思った。
わなわなと怒りに震える。握りしめた拳は、あまりに強く握っているため爪が手のひらに食い込んでいた。
「買収の話はなしにはならない。私は嫁がない」
「京香」
「あの会社は買収されるべき、お父さんにも梨々子にも任せられない。勝手なことはもうできない」
低い声でそう言った。だが、父は慌てなかった。非常に冷静な態度で、こちらを睨む。まるで汚いものを見るかのような、冷たい視線だった。
「そういうだろうと思っていた。でも、そう簡単にいくかな」
「……どういう意味?」
「もう八神グループと話は進んでるんだ。とっくの前に返事は返してある。後戻りはできない」
「え」
「ここでうちが約束を破ったとしてどうなると思う? あの八神グループを怒らせることになるんだぞ。あそこがどれくらい大きな力を持ってるか知ってるな。八神を敵に回したうちの会社を、買収する気なんてどこも起きないと思う」
絶句した。
これか、これを見越して、父は今まで何も言わなかったのか。
もうとっくに話はまとまっていたのだ。引き返せない。もし私が勝手なことをして相手を敵に回したら、うちの会社が被害を被る。働いているみんなが、困ってしまうかもしれない。
目の前の男を睨むしかできなかった。どうせ今後も経営はうまくいきっこない。人間はそう簡単には変われないからだ。でも、八神を敵に回した状態で傾くのと、八神と結婚して繋がりができた状態で傾くのとでは大いに違う。
唇をかむ私に、梨々子が笑いながら言った。
「よかったねえお姉ちゃん! 八神グループのお嫁さんなんて羨ましい~! あ、でも、今ネットで調べたら、八神の息子さんって四十のお腹でたおじさんだったよ。あは、私いくらお金持ちでも、一回り以上離れた冴えないおじさんに嫁ぐなら死ぬ」
言い返す気力もない。