あなたに嫌われたいんです
交渉で、最寄り駅の一本裏に入った道で落ち合うことになった。そこなら人に見られる心配はないだろう、と思ったのだ。
話はまとまった。今日は仕事でスーツを着ているので、服装を心配する必要もない。
ようやくスマホをしまい込み、呼吸を整える。昨日のことがフラッシュバックしてしまうのだ。彼に掴まれた手首の熱さや、一瞬近づいてきた顔。それが蘇るたび、心臓が痛くてたまらない。
……最近、男の人と近づくなんてなかったからかな。
一人でそう言い訳して、職場へ急いだ。
社内の混乱は収まっていない。自分たちはどうなるんだ、買収は本当になくなったのか。そんな不安の声が耳に入ってくる。
それでもいい人たちばかりなので、私に詰め寄るような人は誰もいなかった。様子をうかがうように話を聞いてくる人はいるが、私があまり詳しく説明できないことを知ると素直に去っていった。むしろ、徳島さんのように私の心配をしてくれるような人ばかりなのだ。
いい人たちばかりがうちに残り、苦労する羽目になっている。
この環境を、早く何とかしたかった。
今日も職場は慌ただしく混乱を極めていたが、私は何とか仕事を切り上げた。周りの人たちはまだまだ残業していたので心苦しかったが、そのまま上がらせてもらうことにする。
急いで会社を出た頃、すでに外は暗かった。大分暑くなってきたとはいえ、日はまだあまり長くはない。私は足早に駅に向かっていった。ちょうど帰宅ラッシュなのか、周りにも多く人々が行き交っている。
しばらく歩いたところに見えた地下鉄の入り口には、次々人が吸い込まれていく。ちらりと腕時計を見てみると、約束の時間には余裕がありほっとした。さて、待ち合わせは駅ではない、ここから一本横にそれた道のはずだ、そちらへ向かって……
方向を変えようとした時だ。地下鉄の穴から、一人の女性が出てくる。ボブの髪型をし、柔らかなフレアスカートを履いた二十歳くらいの可愛らしい子だった。学生と思しきその子とすれ違う。
するとその少し後ろに、男がいた。猫背で黒いTシャツ、キャップを被っている。両手はジーンズにしまい込んでいた。その男はじっとりとした目で、ボブの女の子の背中を見ていた。どこかおぼつかないようなふらふらした足取りが、やけに気になった。
ふと、足を止める。なんとなく二人を目で追った。
女の子はどんどん歩いていく。男は一定の距離を保ったまま同じ方向へ進んでいく。人通りもそこそこある道で、特別目立つかと言われればそんなことはない。でも自分の心の奥底が、やけにざわめいた。
私は考えるより早く男の後ろをついて行った。適度な距離を保ちつつ、二人に続く。鞄からスマホを取り出し、握りしめた。
勘違いならそれでいい。女の子が誰かと合流できたら。二人がどこかで道を分かれたら。男が女の子を追い越してくれたら。そうすれば、私は安心して踵を返すだろう。どうか私の思いすぎであってほしい。
女の子は横断歩道を渡り、まっすぐ進んだ。私の待ち合わせとは反対側の道へ行き、やや細い道へと入っていく。あの向こうは、一気に人気が少なくなり、アパートなどが立ち並ぶ様子へ変わるのだ。残念なことに男も続いた。自分の心のざわめきがさらに大きくなる。
しばらく細めの路地を進んだとき、女の子が角を曲がった。男もそちらへ行く。やや距離があった自分は慌てて二人の後を追った。急いで角から顔を出すと、人気もない暗がりの中で、男が背後から女の子に抱き着いている姿が目に入った。
話はまとまった。今日は仕事でスーツを着ているので、服装を心配する必要もない。
ようやくスマホをしまい込み、呼吸を整える。昨日のことがフラッシュバックしてしまうのだ。彼に掴まれた手首の熱さや、一瞬近づいてきた顔。それが蘇るたび、心臓が痛くてたまらない。
……最近、男の人と近づくなんてなかったからかな。
一人でそう言い訳して、職場へ急いだ。
社内の混乱は収まっていない。自分たちはどうなるんだ、買収は本当になくなったのか。そんな不安の声が耳に入ってくる。
それでもいい人たちばかりなので、私に詰め寄るような人は誰もいなかった。様子をうかがうように話を聞いてくる人はいるが、私があまり詳しく説明できないことを知ると素直に去っていった。むしろ、徳島さんのように私の心配をしてくれるような人ばかりなのだ。
いい人たちばかりがうちに残り、苦労する羽目になっている。
この環境を、早く何とかしたかった。
今日も職場は慌ただしく混乱を極めていたが、私は何とか仕事を切り上げた。周りの人たちはまだまだ残業していたので心苦しかったが、そのまま上がらせてもらうことにする。
急いで会社を出た頃、すでに外は暗かった。大分暑くなってきたとはいえ、日はまだあまり長くはない。私は足早に駅に向かっていった。ちょうど帰宅ラッシュなのか、周りにも多く人々が行き交っている。
しばらく歩いたところに見えた地下鉄の入り口には、次々人が吸い込まれていく。ちらりと腕時計を見てみると、約束の時間には余裕がありほっとした。さて、待ち合わせは駅ではない、ここから一本横にそれた道のはずだ、そちらへ向かって……
方向を変えようとした時だ。地下鉄の穴から、一人の女性が出てくる。ボブの髪型をし、柔らかなフレアスカートを履いた二十歳くらいの可愛らしい子だった。学生と思しきその子とすれ違う。
するとその少し後ろに、男がいた。猫背で黒いTシャツ、キャップを被っている。両手はジーンズにしまい込んでいた。その男はじっとりとした目で、ボブの女の子の背中を見ていた。どこかおぼつかないようなふらふらした足取りが、やけに気になった。
ふと、足を止める。なんとなく二人を目で追った。
女の子はどんどん歩いていく。男は一定の距離を保ったまま同じ方向へ進んでいく。人通りもそこそこある道で、特別目立つかと言われればそんなことはない。でも自分の心の奥底が、やけにざわめいた。
私は考えるより早く男の後ろをついて行った。適度な距離を保ちつつ、二人に続く。鞄からスマホを取り出し、握りしめた。
勘違いならそれでいい。女の子が誰かと合流できたら。二人がどこかで道を分かれたら。男が女の子を追い越してくれたら。そうすれば、私は安心して踵を返すだろう。どうか私の思いすぎであってほしい。
女の子は横断歩道を渡り、まっすぐ進んだ。私の待ち合わせとは反対側の道へ行き、やや細い道へと入っていく。あの向こうは、一気に人気が少なくなり、アパートなどが立ち並ぶ様子へ変わるのだ。残念なことに男も続いた。自分の心のざわめきがさらに大きくなる。
しばらく細めの路地を進んだとき、女の子が角を曲がった。男もそちらへ行く。やや距離があった自分は慌てて二人の後を追った。急いで角から顔を出すと、人気もない暗がりの中で、男が背後から女の子に抱き着いている姿が目に入った。