あなたに嫌われたいんです
『お姉ちゃんずるい! あんなかっこいい人ってなんで黙ってたの? お姉ちゃんにはもったいないよ、私が変わってあげてもいいよ! そしたら会社継ぐのは譲ってあげる』
苛立ってやや乱暴にそれを放った。なんで上から目線なんだ、あれだけ私の結婚を鼻で笑っていたじゃないか。
会社継ぐのは譲ってあげる、って大きなお世話だ、そこまで会社は持つわけないんだから。いつでも私が持っているものを欲しがる。境遇を考えればそうなるのも分からなくはないのだが、だからって結婚相手まで取ろうとするだろうか? 異常だ。無視だ、無視して仕事をしよう。
今だ不穏な空気が流れる社内で黙々と仕事をしていると、徳島さんが近づいてきた。そして私に小声で声を掛けてくる。
「五十嵐さん、いい?」
顔を上げる。彼は少し困ったような顔で立っていた。
「はい、どうしましたか」
「五十嵐さんに会いたいって人が来てて」
ドキッとした。すぐに理人さんの顔が浮かぶ。だが、徳島さんが言ったのは全くの別人のことだった。
「鬼頭さんとこの、会長さんみたいで」
「えっ」
驚いて声を漏らす。相手は今だ長く付き合ってくれている仕事相手だった。規模はうちより少し向こうが大きいくらいか。確か、祖父の時代からずっと一緒に仕事をしてくれている相手だ。
会長、会長……頭の中で巡らせる。確か会ったことはある。でも、ほんの数回だ。そんな相手がなぜ急に私に?
「父ではなく、私なんですか?」
「うん。むしろ、社長には言わずに君を、って言われたんだ」
ますます分からない。首を傾げて考えるも、父には内緒で私と話したいことなんて思い当たらないのだ。だが呼ばれたのだ、待たせるわけにはいかない。私はとりあえず立ち上がった。
「分かりました、ありがとうございます」
「社長に内緒で、そして誰も人が来ないところでってことで、あちらの希望もあり会議室に通してる」
「は、はあ。ありがとうございます」
慌ててその場から立ち去る。一体私に何の用があるのだろう。そう考えながら、心のどこかがざわめくのに気づく。なんか、あまりいい話じゃない気がする。ついにうちと取引を中止するとか? いや、それは父か、徳島さんとかに言うべきだと思いなおす。仕事のことじゃないのか。
すぐにたどり着いた会議室の前で、私は一つ深呼吸をした。そして一旦服装を整え、ノックをする。
「失礼します」
あまり広さもない会議室の真ん中に、その人はいた。並べられたテーブルや椅子の中に一人座っている。年齢は七十と少し、といったところか。真っ白な白髪に、少し生やされた髭は上品に整えられていた。
彼は私を見てホッとしたように表情を緩める。私は近づき頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、突然来てしまったこちらが非常識なのです。京香さんお久しぶりですね、大きくなれた。いや、成人した女性に大きくなったも変ですね。あなたの印象は葬儀の時のものが強くて」
言われて気が付く。そうか、母の葬儀に来てくれていたのか。その頃自分はまだ高校生だったし、なんせ母の死に呆然としていたので、正直覚えていなかった。
再度頭を下げる。
「すみません、正直覚えていなくて……母の葬儀にまで来てくださっていたのですね」
「頭を上げなさい、あなたのところとはおじいさまの頃から親しくさせてもらってる。いや、あんな優秀なお母様を亡くされたのは本当に残念でした」
「いまだうちと仕事を続けてくださってありがとうございます」
「いや、そんなことは……とりあえず座ってくだされ」
言われるまま椅子に座る。ひんやりとした感触を感じながら、私は早速本題に切り出した。
「それで、もしや今後の取引についてのご相談でしょうか。そういった話なら、徳島などに言っていただけた方がいいかと」
「いや、今日は仕事の話じゃない」
「え?」
首を傾げる。仕事でないのなら、一体何の用があるというのだろう。
鬼頭さんは気まずそうに視線を落とす。眉間に寄せられた皺は事の重要さを表していた。緊張感がこちらにも伝わってくる。
「どうしてもね、あなたの会社の話は耳に入ってくる」
「……ご心配をお掛けして申し訳ありません」
頭を下げた。倒産しかかって、買収されそうだということも知れ渡っているのだろうか。それもそうだろう、むしろ今までもそういった噂は聞いていただろう。仕事ぶりをみていても分かったかも。それなのに見捨てずにいてくれたことは素直に感謝したい。
苛立ってやや乱暴にそれを放った。なんで上から目線なんだ、あれだけ私の結婚を鼻で笑っていたじゃないか。
会社継ぐのは譲ってあげる、って大きなお世話だ、そこまで会社は持つわけないんだから。いつでも私が持っているものを欲しがる。境遇を考えればそうなるのも分からなくはないのだが、だからって結婚相手まで取ろうとするだろうか? 異常だ。無視だ、無視して仕事をしよう。
今だ不穏な空気が流れる社内で黙々と仕事をしていると、徳島さんが近づいてきた。そして私に小声で声を掛けてくる。
「五十嵐さん、いい?」
顔を上げる。彼は少し困ったような顔で立っていた。
「はい、どうしましたか」
「五十嵐さんに会いたいって人が来てて」
ドキッとした。すぐに理人さんの顔が浮かぶ。だが、徳島さんが言ったのは全くの別人のことだった。
「鬼頭さんとこの、会長さんみたいで」
「えっ」
驚いて声を漏らす。相手は今だ長く付き合ってくれている仕事相手だった。規模はうちより少し向こうが大きいくらいか。確か、祖父の時代からずっと一緒に仕事をしてくれている相手だ。
会長、会長……頭の中で巡らせる。確か会ったことはある。でも、ほんの数回だ。そんな相手がなぜ急に私に?
「父ではなく、私なんですか?」
「うん。むしろ、社長には言わずに君を、って言われたんだ」
ますます分からない。首を傾げて考えるも、父には内緒で私と話したいことなんて思い当たらないのだ。だが呼ばれたのだ、待たせるわけにはいかない。私はとりあえず立ち上がった。
「分かりました、ありがとうございます」
「社長に内緒で、そして誰も人が来ないところでってことで、あちらの希望もあり会議室に通してる」
「は、はあ。ありがとうございます」
慌ててその場から立ち去る。一体私に何の用があるのだろう。そう考えながら、心のどこかがざわめくのに気づく。なんか、あまりいい話じゃない気がする。ついにうちと取引を中止するとか? いや、それは父か、徳島さんとかに言うべきだと思いなおす。仕事のことじゃないのか。
すぐにたどり着いた会議室の前で、私は一つ深呼吸をした。そして一旦服装を整え、ノックをする。
「失礼します」
あまり広さもない会議室の真ん中に、その人はいた。並べられたテーブルや椅子の中に一人座っている。年齢は七十と少し、といったところか。真っ白な白髪に、少し生やされた髭は上品に整えられていた。
彼は私を見てホッとしたように表情を緩める。私は近づき頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、突然来てしまったこちらが非常識なのです。京香さんお久しぶりですね、大きくなれた。いや、成人した女性に大きくなったも変ですね。あなたの印象は葬儀の時のものが強くて」
言われて気が付く。そうか、母の葬儀に来てくれていたのか。その頃自分はまだ高校生だったし、なんせ母の死に呆然としていたので、正直覚えていなかった。
再度頭を下げる。
「すみません、正直覚えていなくて……母の葬儀にまで来てくださっていたのですね」
「頭を上げなさい、あなたのところとはおじいさまの頃から親しくさせてもらってる。いや、あんな優秀なお母様を亡くされたのは本当に残念でした」
「いまだうちと仕事を続けてくださってありがとうございます」
「いや、そんなことは……とりあえず座ってくだされ」
言われるまま椅子に座る。ひんやりとした感触を感じながら、私は早速本題に切り出した。
「それで、もしや今後の取引についてのご相談でしょうか。そういった話なら、徳島などに言っていただけた方がいいかと」
「いや、今日は仕事の話じゃない」
「え?」
首を傾げる。仕事でないのなら、一体何の用があるというのだろう。
鬼頭さんは気まずそうに視線を落とす。眉間に寄せられた皺は事の重要さを表していた。緊張感がこちらにも伝わってくる。
「どうしてもね、あなたの会社の話は耳に入ってくる」
「……ご心配をお掛けして申し訳ありません」
頭を下げた。倒産しかかって、買収されそうだということも知れ渡っているのだろうか。それもそうだろう、むしろ今までもそういった噂は聞いていただろう。仕事ぶりをみていても分かったかも。それなのに見捨てずにいてくれたことは素直に感謝したい。