あなたに嫌われたいんです
「……あれ、待てよ。あっちの息子はどう思ってるんだろう」

 突然こんな小さな会社の長女と結婚しろ、なんて、普通反対しないだろうか? 今までいろんなお見合いの話も断ってきたと言っていた。そんなに理想が高いのに、私で満足するわけがなくないか?

「それだ!」

 大きく声を上げた。

 あっちから断ってもらえばいい。

 この女性とは合わないから、結婚は無理ですと、向こうに思ってもらえればいい。

 それは八神の都合だ。こちらは何もしていない。そうすれば、穏便に話はなかったことになるのではないか。怒らせることもなく終わる。支援の条件は結婚だったのだから、結婚がなくなれば支援だってなくなるだろう。うちの会社はやっぱり買収される、八神を敵に回すこともない。

 これだ!!

「嫌われればいいんだ」

 思いつけば簡単な答えだった。

 結婚は絶対に無理だという、

 そんな女になればいい。









 二日後、私はあるマンションに来ていた。

 うちの家から電車で二十分。かなりの金持ちが集まると噂の土地に、そのマンションはあった。

 天下の八神グループなのだから、当然といえる。でも、いざ目の前にすると怯んでしまった。

 高い、綺麗、オシャレ。見上げすぎて首が痛い。うちの親も再婚後、贅沢して金持ちのような顔をしていたけれど、レベルが違うと思った。そりゃ会社の規模が違うのだ、うちの家の贅沢なんて、八神から見れば鼻で笑ってしまうレベルだろう。

 旅行鞄一つだけをもって、私はいまさらながら緊張してきていた。必死にそれを落ち着かせる。

 大丈夫だ。私はとにかく相手に嫌われることだけを考えておけばいい。かといって、あからさまだと向こうに勘づかれるかもしれない。八神を敵に回さないよう、それなりに媚びつつ嫌な人間になるんだ。……難しいな。

 でもこの二日間情報収集に徹した。仲のいい友人などにも事情を説明し、『結婚したくない女』を研究したのだ。きっと大丈夫、うまくやれる。早いところ相手には結婚したくないと思わせなければ。

 深呼吸し決意を固めると、中へ入った。広すぎて綺麗すぎるエントランスを抜け、インターホンを鳴らす。最上階が彼の部屋だった。ドキドキしながら待っていると、スピーカーから声がした。

『はい』

 びくんと体が跳ねる。だが平然を装って言った。

「はじめまして。五十嵐京香です」

『ああ、どうぞ』

 そう返事がしてドアが開いた。オートロックのそれをくぐり、エレベーターへ向かう。

 今のが私が同居する相手、八神理人。確か梨々子が言っていた、四十くらいの男性だと。声は落ち着いた低い声だった。

 鞄を強く握る。

 エレベーターに乗り込み、一番上の階を押す。心臓が痛いほど鳴っている。落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。

 思えば知らない男と一緒に住むことになるなんて、大丈夫なのだろうか。自分は結婚するつもりはさらさらないので、指一本も触れさせる気はない。でも向こうはそう思っていないかも。

 いや、数多くのお見合いを断った面食い男が、私を見て失望しないわけがない。もしかして、一目見た瞬間『結婚は無理です、僕はもっと美人で胸が大きい女性でないと』って言われるかもしれない。そうしたら万々歳だ、私の心にちょっと傷を残すだけ。

 そう、そうだ。きっとそうなるに違いない! あっちだってこんな結婚、不本意なはず!

 私は胸を張って前を向いた。エレベーターが到着し扉が開かれる。足を踏み出して見渡す。フロアにはドアが一つあるだけだった。

 ごくんと唾を飲み込み、そのドアの前に向かう。そしてついに、インターホンを鳴らしたのだ。

 足はがくがくに震えていた。鞄を強く握るは手汗でぐっしょりだ。多分、顔色も悪いと思う。

 それでもなんとか二本の足で立って待っていると、ドアはすぐに開かれた。目の前に一人、男性が立っている。

「こんにちは。八神理人です。あなたが、五十嵐京香さんですね?」

 そう私を見て微笑んでいた。私はそれを見て、全身を硬直させた。頭は真っ白になり、何も浮かんでこない。

 立っている男はスラリと身長が高い人だった。黒髪は猫っ毛のようで柔らかそうになびいている。切れ長の瞳に、高い鼻。薄めの唇がわずかに微笑んでいる。

 目の前にいる男は、どう見ても年齢は私と大して変わらない人だった。そして、お腹が出てるなんてこともまるでない。いや、むしろ……

(は、話が違う)

 自分の好みすぎる男前が現れて、失神するかと思ったのだ。
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