あなたに嫌われたいんです
想像してなかったこと
その夜、結局彼は帰宅しなかった。
私は眠ることなくリビングで待ち続け、しつこいと知りつつも電話を掛けたが、繋がることはなかった。
待てども待てども帰ってこず、夜が明ける。わずかな望みにかけて、朝ごはんを作って帰りを待った。朝方に帰ってきますように。そして、向かい合って朝食が取れますように。
ラップをかけ冷え切った朝食を前に座り、祈り続けたが、叶うことはなかった。身勝手すぎる祈りだ、今までまともに理人さんの顔を見ずに食べていたのに。今更彼と向かい合って食事がとりたいなんて、どの口が言うんだろう。
出社時間になり、仕方なく家を出た。昨晩の様子から見るに、もしかしたら援助の話が無くなって父が大騒ぎをするかもしれない。だからいかないわけにはいかなかった。もしそうなれば、一度蹴った買収話を何とかもとに戻さねば。
大丈夫だよね? これで結局八神側が怒って……みたいな最悪パターンにならないよね?
不安でいっぱいになる。理人さんの様子も変だったし、事がどう運ぶのか予測しきれないところがある。
徹夜明けの顔色が悪いまま電車に乗り、気分を悪くしながら会社へ向かった。どこか足元もふらふらする気がする。治りきっていない傷は痛むし、それを見れば理人さんを思い出すし、もう散々だった。
なんとか会社にたどり着き、自分の席に腰かける。すぐに仕事に移れるはずもなく、ため息をついて両手で顔を覆った。
「五十嵐さん? 大丈夫?」
私の様子を見ていたのか、徳島さんが心配そうに声を掛けてくれた。昨日退職を少し待ってほしい、とお願いしたばかりだ。私は力なく笑う。
「大丈夫です、すみません」
「顔色悪いね。ここ最近ずっとそうだったけど、無理してない?」
「はい、大丈夫です」
そう答えるしかなく、私はパソコンを立ち上げる。何か言いたそうにしていた徳島さんだが、結局何も言わずに去っていく。
溜まっている仕事をこなさねば、と手を伸ばした時、ポケットに入れっぱなしだったスマホが鳴ったことに気が付いた。無論今日は、朝から理人さんのラインはない。私は慌ててそれを取り出した。
ようやく向こうから何か返ってきたのではないかと、縋る気持ちで覗き込む。スマホは着信を表していた。相手は、理人さんではなく、頭空っぽの父親からだった。
どきっと心臓が鳴る。
急いで立ち上がり、廊下へ出て人気のない場所へ急いだ。お父さんからだ、きっと何か動いた。理人さんが動いてくれた。
震える手で通話ボタンをタップする。きっと耳元で、罵声が聞こえてくるに違いない。八神からの援助を切られた、お前のせいだと、大声で怒鳴られるんだ。そうであってほしい。
祈りながら耳に当てると、予想とはまるで違った声がした。
『京香! おはよう!』
ここ数年聞いたことのない上機嫌な声。私は驚きで一瞬耳から離した。