あなたに嫌われたいんです
 理人さんも、一瞬驚いたように目を丸くする。私はもはや、声も出せなかった。

 梨々子が、理人さんと? 

 私の居場所を奪って、母の形見も奪ったあの子が理人さんと。想像するだけで絶望色だった。私はきっともう生きていけないとすら思った。

 梨々子なんてどうせ、理人さんの顔やステータスが気に入っただけのくせに……!

「おとうさ……!」

「ありがとうございます。もったいないお話です。
 ですが私は今、誰かと恋愛や結婚するつもりはないので。お気持ちだけ」

 理人さんがすぐにそう返したので、燃え上がった怒りが少しだけ収まる。父はあからさまに残念そうにする。梨々子は、少しだけ唇を尖らせた。

 よかった、理人さんが受けたらどうしようかと思った。周りに気づかれないように息をゆっくり吐きだす。必死に自分を抑え込んだ。

 断った。理人さんは断ってくれた。だから大丈夫、梨々子とどうこうなることはない。もっとちゃんとした人とまたお見合いでもするんだろう。

 そう考えると、収まった動悸が再び襲ってきた。理人さんが今後誰かと付き合って結婚するなんて当然のことなのに、認めたくない自分がいる。あまりに勝手で、愚かすぎる。

 声すら出ることができなくなった私に対し、理人さんは落ち着いた様子で話を切り上げた。

「というわけで、今後もよろしくお願いいたします。期待しております」

「ええ、もちろん!」

 二人が立ち上がる。私は体が動かせず、ただ茫然と目の前を見ていた。あれだけ頑張ったのに結局援助を断ち切れなかったショックと、理人さんが結局何を考えているのか分からない戸惑い。

「京香さん」

 そんな私に、聞きなれた声が投げかけられる。はっとしてようやく顔を上げた。そこには、こちらをじっと見ている理人さんの目があった。

 彼はやや不思議そうに私を見ていた。私を覗き込むようにし、髪を垂らしている。

「荷物、持って帰らないといけませんよね。また夜に」

 そう聞いてハッとする。そうだ、まだあのマンションに荷物は置きっぱなしだし、鍵も返していない。鍵を返すタイミングで、私はまた彼と二人で会うことができるはず。

 今夜聞けるかもしれない。彼の思惑について。今はとりあえずこのまま引き下がるしかない。

 私は立ち上がる。そして強く頷いた。

「はい。よろしくお願いします」

 まだ終わりじゃない。そう思い、深く頭を下げた。



 

 
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