あなたに嫌われたいんです
 梨々子と廊下を進み、靴を履いた。私は最後に振り返り、理人さんの顔を見上げた。

 しっかり目が合うの、久しぶりな気がする。彼はじっと私を見つめていた。

「短い間でしたが、お世話になりました」

 深々と頭を下げた。彼は何も答えなかった。

 言いたいことが、言わなきゃいけないことがたくさんあるのに、何一つ言葉に出せない。情けなくて自分で笑ってしまいそうだった。

「理人さん、ライン待ってますねー!」

 梨々子の明るい声がして、玄関が開かれた。私は頭を上げ、彼を見ないようにして梨々子の後に続く。

 妹が先に外に出る。閉まりかけた扉に手を差し出し、私も外に一歩踏み出そうとした時だ。


 すっと隣から腕が出てきて、私が開けようとした扉を素早く閉めた。


 その大きな手はスムーズな手つきで鍵も閉めた。ガチャッと音が響き、外に梨々子だけが締め出された形になる。あまりに自然な動きで、一瞬のことだったので、私は何が起こったのか分からなかった。

「あれ? お姉ちゃん?」

 扉の向こうから妹の戸惑った声が聞こえる。

 ぽかんとしている私は横を見上げた。そこに立っていた理人さんが、じっと不思議な色の目で私を見ていた。吸い込まれそうだ、と思った。ただ黙ってこちらを見ているだけのその顔が酷く尊くて、私には手に負えない、とすら感じる。

「りひ」

 声を掛けようとした私の手を取る。今だドアの向こうで私を呼ぶ妹を無視し、理人さんはリビングへ腕を引っ張った。持っていたカバンはその場にドサッと捨てる。私はされるがままそれに付いて行った。何かを聞く隙さえ与えてはもらえなかった。

 リビングへ入り、扉がしっかり閉じられた。そこまですれば梨々子の声も何も届きはしない。私は部屋の真ん中でただ立ち尽くし、理人さんの後ろ姿を見ているしかない。

 少し間があって、彼が振り返る。びくっと体が反応した。なんだか、怒られるんじゃないかと思ったのだ。

 理人さんは比較的落ち着いた声色で、でもどこか苦しそうに私に尋ねた。
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