あなたに嫌われたいんです
「恥ずかしがることはないです、何も間違っていることは言っていません。
 実は当時、僕もまだ考えが浅く舐めた人間だったんです。年の離れた兄が継ぐことは分かっていたし、自分は無関係だとも思っていた。
 でも、自分と同じくらいの女性があんなに経営についてしっかり考えているんだ、と知りハッとしました。それから僕もちゃんと色々考えるようになったんです。
 その場では凄い人だな、ぐらいしか思っていなかった。あなたがどこの誰かも分からなかった。
 見合いをするたび、なぜかあなたの顔が浮かんで、あの時声を掛けておかなかったことを後悔しました。それから数年経ってから、あんな形で京香さんの身元を知ることになるなんて。
 笑ってください。その時、『運命だ』なんて……陳腐でロマンチストなことを思ったんですよ」

 目を細めて理人さんがいう。私は両手を戻してその横顔を見つめた。

 つまり、彼は――

 理人さんがゆっくりとかみしめるように言う。

「結婚するならあなたがいい、と思っていた」

 ストレートにそういわれ、私は不意打ちに心臓が跳ねた。

 初対面だと思っていた。こちらの我儘にも笑顔で応えていたのは裏があるんだと思っていた。

 まさか彼が言っていた、『私が知らないような裏』がこれだったなんて。

「……どうして言ってくれなかったんですか、そうしたら私」

「言えると思いますか? 圧倒的にあなた側が不利な政略結婚ですよ。京香さんからは断れないことも分かり切っている狡い方法。そんな汚い手であなたと結婚しようとしたなんて、言えるはずない。最高にかっこ悪いと自分でも分かってるんです。
 あなたが演技をしていることも確信していました。特に、経営について興味がないとか仕事を軽視しているような発言を聞いて。きっと僕に嫌われたいんだろうなと。
 僕にできることは、あなたに好きになってもらうこと。そうすれば、この無茶な結婚話も許される気がしていた。嫌な女の演技にも負けず、とにかく何とか僕を好きになってもらえないか必死でした。京香さんは顔に出やすいので、正直結構いい感じなんじゃないか、と自惚れていたんですよ。恥ずかしい」

 彼はそう言って苦笑いした。そこであっと思う。彼はまだ、私が結婚を嫌がっていると思っているのだ。

 理人さんの計画は上手く行っているのだ。私はまんまと彼にハマり、あのキスだって全然嫌じゃなかった。ただ、会社のことがあるからそれを貫いただけ。

 私はとっくに彼を好きになっている。

「だから謝らなくては。京香さんには狡い方法で婚約を強いて、さらには許可も得ず手を出してしまって」

「理人さん、謝らないでください。私は謝ってほしいなんて思ってません。
 私が結婚をなしにしてほしいと願ったのは、会社のことがあったから。私個人の気持ちはまだ言っていません」

 私がきっぱりそういうと、理人さんが勢いよくこちらを見た。驚いたように目を真ん丸にしている。その中に私が映っていて、必死に彼を見上げていた。

 自分の表情を見て、心で思う。確かにこれはバレるはずだ。

 私、こんなにも彼に好きを漏らしてしまっている。


 

 こんな嫌な女と結婚するつもりなんて、どうかしてると思ってた。

 でもだって、思わないじゃない。

 理人さんが元から私を知っていて、そのうえで結婚したがっていたなんて。演技も最初から全部バレていたなんて。

 そんなこと……想像もつかないじゃない。



 驚きで固まってしまった理人さんに、私はきっぱり言った。こういう時、私はちゃんと気持ちを伝えたいタイプなのだ。

「許されるなら、あなたのそばにいたいんです。今日、梨々子が理人さんに近づいているのを見て気が気じゃなかったんです。私から結婚をなしにしてくれって言ったくせに、勝手ですが……」

「京香さん」

「私はまんまとハマってしまいました。とっくに理人さんを好きになっていました。
 完敗です」

 そう笑いながら言い理人さんを見ると、彼は完全に一時停止していた。瞬きすらせず、静止画のように止まったままだ。

「……あの、理人さん?」

 何も返事が返ってこないので、私は恐る恐る声を掛けた。彼は魂が抜けているんじゃないかと思うほど真っ白になっていて、心配になるくらいだった。いつも涼しい顔して完璧な彼が、こんなになるのを初めてみた。

 それから何テンポか遅れた後、理人さんはまず大きなため息をついた。そして頭を垂らして手で顔を覆う。彼の顔が見えず、私はなんだか心配になってしまった。

「あなたは……それ計算なんですか?」

「えっ」

「どうしてこんな、またこっちのすべてを振り回すような……計算なら恐ろしい、天然ならなお恐ろしい。僕は一生京香さんには適わない自信があります」

「ど、どうしたんですか」

 戸惑って慌てる私をよそに、彼が頭を上げた。困ったような、嬉しさをかみ殺しているような、そんな不思議な表情が見えてつい心臓が握りしめられた。

 うるさい心の音をそのままに、私は素直に言った。

「振り回されてるのは私の方です……理人さんはきっと演技なんだって、好きになったら辛いだけなんだってわかりきっていたのに、私はまんまと落ちてしまったんですよ。何考えてるか分からないし、もう私どうしたらいいか分からなくて」

「それ以上言わないでください、そろそろ爆発しそうです」

「爆発?」

「嬉しくて、爆発」
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