あなたに嫌われたいんです
「……は」

「会社全員分の退職願です。
 あなたが経営を続けていくならみんな辞めるそうですよ」

 今日集めた退職願を、父はただ目を丸くして眺めていた。

 元々、うちを去ろうとしている人たちは多くいた。それ以外も、もううんざりで転職先を探そうとしている人たちばかり。理人さんの話を聞いて、みんなはすぐに腹をくくってくれた。

 もうついて行けない。父が居続けるなら、みんなで辞めよう、と言ってくれたのだ。

 理人さんはゆっくりお茶を一口飲む。涼しい顔で言った。

「さすがに、社員が誰もいなくなれば、あなた一人でどうこうできませんよね? どうするつもりですか?」

「こ、こんな脅し」

「脅しですかね? 五十嵐にいる社員はみな優秀だ。五十嵐を去ったならこちらに来てほしいぐらいですよ。と、伝えましたけど」

 父は言葉を返さない。梨々子と母が立ち上がり、父に歩み寄った。彼はそれでも首を縦に振らない。

「し、しかし、私が退いたなら誰がやっていくんです? まさか京香が継ぐなんて言わないでくださいよ。まだ入社して大して時間も経っていない二十五の娘だ。それこそすぐに会社はだめになる」

「他に誰がいるっていうんですか? まさかそこの妹?」

「ははは! 冗談はやめなさい、私ですら駄目だったのを、京香一人で何とかなるとでも? すぐに潰れるのが目に見える」

 大きな声で笑った。理人さんは表情を何一つ変えなかった。凛とした表情で座っている。その威圧に父は口を閉じ、黙り込んだ。

 静かに、理人さんが言う。

「京香さんの後ろには誰が付いてると思ってるんですか? 八神が支えるんですよ。
 まあ、彼女一人では荷が重いのは否めない。ということで、僕も全力で支えます」

「え?」

「僕は次男なのでね。京香さんの方に婿に入っても問題ないということです。もちろん僕もまだまだな身ですが、父と兄にしごかれた能力は、あなたよりは上回っていると思います。あとは、今まで五十嵐を支えてくれた社員も含め彼女を全力で守るでしょう」

 三人とも、あんぐりと口を開けた。

 八神社長もこの話に同意してくれた、と聞いたとき、私も同じ顔をしてしまった。

 私と理人さんで会社を立て直す。迷ったときは、八神社長に助言を得ることもできる。もちろん口で言うのは簡単だ、現実はそう簡単にはいかないだろう。だが、八神社長は『いい社会勉強になるな』なんて、面白そうに言っていたそうだ。

 できる限りのバックアップはする、と言ってくれた。正直、八神とつながっているとなれば、これほど力強い相手はいない。敵に回せば怖い相手だが、味方にするととことん力強い。
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