あなたに食べられたい。

 翌日、ジローはいつものように二時ごろやってくると、中古のモデムを設置してくれた。ついでだからと面倒な初期設定までやってくれた。

「ありがとうございます。すごく助かりました」
「ねえ、お兄さん手慣れてるけど何者なの?」

 設置の様子を共に見守っていた妹の麻里(まり)は栞里がひと月以上かけても聞けなかったことをこともなげに尋ねた。
 確かにジローのブラインドタッチは驚くほど洗練されていた。

「駅前のビルの五階でエンジニアとして働いてる」
「駅前のビルって槙島スカイタワー?」
「それ」

 駅前の再開発事業で新たに出来た槙島スカイタワーは近隣住民からしてみればエリートの象徴とも言える。
 テナントも有名企業の支社や営業所のはずだ。

「サラリーマンには見えないけど……」
「よく言われる。まあ、服装も自由だし、基本家にこもってるからな」
 
 麻里のおかげでジローに対する疑問がまたひとつ解決した。ラフな格好は私服!

「すみません。あの……少ないですがこちら手間賃です」

 栞里はそう言ってジローの前に謝礼として千円札をいくつか包んだ茶封筒を差し出した。

「いらねーよ。モデムも中古品だし。大したことしてねーし」
「でも……」

 モデム交換も初期設定も電器屋さんに頼んだらそれなりの工賃がかかるはずだ。

「本当にいいから。と、そろそろ戻らねーと会議に遅れちまう」
「あ、待って!!」

 ジローは本当に謝礼を受け取らずに帰るつもりのようだ。慌てて入口まで追いかけていく。ジローは振り返りながら微笑んだ。
 
「またな、栞里」

 頭をポンと優しく撫でられ、ジローは足早に立ち去っていった。
 突然名前で呼ばれた栞里はしばらく動くことができなかった。
 なに、これ……。
 激しく高鳴る胸を押さえて、真っ赤に染まる顔を手で隠す。
 おそらく深い意味はない。ジローは契約者情報に記載された名前を悪戯に呼んだだけ。
 頭では理解しているのに、しつこい胸の鼓動はいつまでも収まることはなかった。

 
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