星のゆくすえ
黄金の子

リセラドの家へ

明け方の、日が昇るか昇らないかの時間帯に、マーシャはラノンの訪問を受けた。何故か村の者から引きとった要らない古着を抱えている。ラノンは強張った表情で、マーシャが混乱しないようにゆっくり告げた。

「騎士様は、貴女を自分の家で保護したいそうです」
「え」
「“狼の目”は貴女を狙っているのではないかと」

理由はわからないがその可能性が高い、と聞かされたマーシャは、血の気のない顔でラノンの目を見つめた。

「出ます、すぐに。…ご迷惑をおかけしました」
「違う、違うのです。マーシャ。貴女のせいではない」

ラノンはマーシャの両手を包みこむと、力強い目で言いきった。マーシャの呼吸は乱れがちになっていたが、ラノンの瞳を見ながら深呼吸をくり返してどうにか落ちついた。

「院長、ありがとうございます」
「他のシスターたちには私から上手く説明しておきます。…マーシャ、貴女に神の守護がありますよう」

ラノンがマーシャの額に口づけると、彼女の青い瞳が潤んだ。だが泣いている暇はないのだと、太く短い眉を引きしめた。

「皆さんにも神の守護がありますように!…その服を着れば目立たずにすみますね?」
「そういうことです。…急いで、終わったら寄宿舎の出入り口へ、私はちょっと食堂に」

ラノンはそう言うと部屋を出た。マーシャは急いで着替えて、頭巾付きの外套を羽織ると、荷物をまとめてーーと言っても元からかなり少ないので時間はかからなかったーー部屋からそっと出ていった。
出入り口にはリセラドが準備万端で待っていた。フィオレも大人しく待っていたようで、マーシャはリセラドに小声で挨拶すると、フィオレの鼻と頬を撫でてやった。

「二人とも、少ないですがこれを」
「! かたじけない」
「ありがとうございます」

ラノンがそこにやってきて二人に携帯食を渡してくれた。小麦に豆や木の実を練りこんで乾燥させたもので、おおよそ三日分はあった。二人はありがたくもらうことにし、慌ただしく、しかし音をなるべく立てないように旅立った。

ラノンは二人と一頭が豆粒のような大きさになるまで、ずっと見送っていた。

マーシャはフィオレに乗りながら森の中を進んでいた。リセラドが手綱を引きながら歩いて行くので、速度は非常にゆっくりだ。マーシャはせめて一緒に乗ってくださいとリセラドに頼んだが、リセラドは頑として首を縦に振らなかった。

「私の家まではそう遠くありませんし、急がなくてはならない場合はお願いいたしますから」

リセラドはそう言ってマーシャをフィオレに乗せ、自分は手綱を引いて歩きだした。彼女を気遣ってのことなのは明白であり、マーシャは申し訳なさに唇を噛みしめた。

(本当なら、一緒に乗ってもっと先へ進んでいたはずなのに)

自身の弱さを克服できないせいで、リセラドの足を引っぱっている。マーシャは朝からそう悩んだ。

(そもそも出会いからそうだ…、私がもっとしっかりしていれば、騎士様に迷惑をかけずにすんだ…)

マーシャはちらりとリセラドに視線をなげた。短めの黒髪と頸が見え、その表情はわからない。

(騎士様の家についたら、私ができる限りのことをして、少しでも恩を返していこう)

暗く、鬱ぎがちになりそうな気持ちをそう奮いたたせて、マーシャは前を見た。森の中はある程度道が整備されているとはいえ、デコボコしていて足場が良いとは決して言えない。だが木漏れ日は柔らかく、風は微風、川のせせらぎも聞こえてきて、気持ちを穏やかにさせてくれるような風景が広がっていた。

修道院がある村の長閑さとはまた違う、心洗われる景観に、マーシャは心が少しだけ軽くなった気がした。そのまま気持ちを明るいほうへ傾けようと、マーシャはリセラドから教えてもらった行き先を思いだす。

(確か、西の…“星読みの街”に行くって…)

『“星読みの街”…ですか』
『はい、星の動きから天気や災害、そこからさらに豊作や不作を予測しようと研究を重ねる研究者たちの街です』
『〝風の魔法〟の研究とはまた違うのですね?』

星は空ーー〝風の魔法〟の領域だ。だがマーシャはリセラドの話から、どうもそれとは違うような印象を受けた。

『そうですね。“星読みの街”の研究者たちは、風だけでなく雨や土、火も同時に研究していますから』
『全体の繋がりを研究している、ということでしょうか』
『仰る通りです。“この世の事象は全て関わりあっている”というのが研究者たちの大前提。故に、大きな視点から事象を解明しようとしているのです』

リセラドの言葉から、哲学的で規模の大きな話だというのはわかった。しかしマーシャからすれば話が大きすぎてついていけず、とにかく難解で大変な研究をしているのだ、ということしかわからなかった。

(その街まで行って、実際に見てみれば何かわかるかもしれない)

本で読んだだけで得た知識と、自身で見聞きして得た知識は全く違う。
マーシャは修道院での生活でそれを良く知っていた。野菜を育てるのにも、本の知識だけで完璧にできるわけがない。経験を重ねる必要があるのだ。街の特色だって同じだとマーシャは考えていた。

「失礼します」

唐突にリセラドがフィオレを止めた。マーシャが何事かと思い彼を見ると、その表情から一緒に乗らねばならない時がきたのだと悟った。

「先程、仲間から連絡が入りました。…少々急ぎます」
「ええ、わかりました」

マーシャが二つ返事でうなずくと、リセラドは慣れた様子でマーシャの後ろに乗りあげると手綱を握った。マーシャの手が無意識に震える。

「すぐに着きます。どうかご辛抱を」

リセラドはそれだけ言うと、後は無言でフィオレを走らせた。周りの景色が流れるように過ぎてしまうが、マーシャは頬に当たる風を感じる余裕もなかった。
浅くなりそうな呼吸をどうにか抑え、揺れに意識を向けてどうにかやり過ごす。

しばらくすると視界が開け、高い塔のようなものが遠くにあるのが見えた。近づくにつれ、塔ほどではないが高い壁に囲まれた街が見えてきた。
門が見えたところで、リセラドは手綱をさばき、フィオレが徐々に速度を落とすよう調節する。マーシャは揺れがなくなって違和感を覚えたが、それも一瞬のことだった。

「いったん止まって、私が下ります。門番とは私が話ますので…頭巾を被っていてください」

耳元で囁くように言われ、マーシャは心臓が口から飛びだしそうになった。吐息交じりの低い声はわざとではないとわかっていたが、マーシャは大きくなる鼓動をどうにもできなかった。それでもどうにか外套に付いている頭巾を深く被る。
それを確認したリセラドは「では失礼」と愛馬から下りて、手綱を握りゆっくりと歩きはじめた。

「リセラド様、おかえりなさいませ」

待ちかまえていたように門番が挨拶した。顔見知りだったようだ。

「ああ、ただいま。[客人]をお連れしているんだが、早いところ休ませてやりたいんだ」

リセラドの言葉に、門番はマーシャに視線を向けた。マーシャは頭巾で顔を隠していて、見知らぬ男からの視線に騒ぎもしない。

「はっ、どうぞお通りください」

門番は二人をあっさりと通した。マーシャは顔にこそ出さなかったが拍子抜けしていた。もっとこう、証明書だのなんだのを見せろと言われたりするものだと思っていたのだ。
しかし、リセラドの胸元で輝くメダイユを見て納得がいった。あれは特殊な身分証のようなものであり、それを付けた者が連れているなら問題ないだろうーーだが。

「あの…私、証明書も何も持たずに来てしまったのですが、大丈夫でしょうか」
「ラノン院長から手紙をもらっております。どうかお気になさらず」

リセラドはフィオレの手綱を引きながら、なるべく人通りの少ない路を進む。内壁に沿って歩いているので、中心部の喧騒はあまり届かない。しかし塔はどこからでも見られるようになっていて、その白く巨大な姿は街のシンボルに相応しい。
さらに日の傾きにより影ができる場所が違ってくるらしく、二人が進む場所はちょうど影になっていて、マーシャは何となく背筋を伸ばして前を見据えた。
その緊張は徒労で、野菜を荷車に乗せた男性や、水を汲みに行こうとしている女性とすれ違うだけに終わった。リセラドはその度に彼らに愛想良く挨拶をしていたし、彼らも穏やかに挨拶を返していた。

(騎士様は気取らない方なのね…、門番の方に話しかける時も威圧感がなかったし)

思わぬ平和な雰囲気に気が緩んでしまったのか、マーシャはぼんやりとそんなことを考えていたが、リセラドの声にビクリと顔をあげた。

「シスター・マーシャ、ようこそ我が家へ」

馬小屋が併設された暖かみのあるレンガ作りの家が、そこにあった。
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