婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした
 周りに目を配らせれば、口元に笑みを浮かべた令嬢が冷ややかな視線をこちらに向けている。
 僅かに聞こえてくる冷笑は私とヴィンセント様どちらへ向けられているのやら。
 
 それよりも気になるのは――。
 公爵令息であるヴィンセント様を見ても、誰一人挨拶に来ない。
 それどころか、蔑むような視線を向けて面白そうに笑っている。こちらがその事に気付いていないとでも思うのだろうか。
 こんな状態のヴィンセント様に挨拶するなんて、時間の無駄だとでも思っているのだろう。
 態度が悪い奴をリストアップして公爵様に告発したいけど、残念ながら私には誰が誰なのかさっぱり分からない。

(ふんっ)

 突然、謎の掛け声と共に、隣で何かがプチッと切れる音がした。完全に油断していたけど……まさか……。 

「あちゃー! 服のボタンが取れちゃった!」

 今、おもっきし自分で引きちぎったわよね。

 ヴィンセント様の右手の中には、上着についていたであろうボタンがしっかりと握りしめられている。ボタンが外れた上着の上部分はダランとだらしなくたわんでいる。せっかく格好良く決めていたのに……でもまだ大丈夫。ちゃんとこういう事態を想定して裁縫道具は密かに持って来て――。

「ああ! 落ちちゃった!」

 今、投げ捨てたわね。

「あれ? 転がっちゃってどっか行ったのかなぁ? 僕ちょっと探してくるね!」

 転がった以前に、投げ捨ててるからね。

 ヴィンセント様はキョロキョロと足元を見まわしながら、人混みの中へと消えていく。

(さあ……やるか……)

 ……え、何を?
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