婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした
 私は彼に近付き、顔を寄せると血が滲んでいる傷をジッと見つめた。
 額も鼻の上も擦り切れて血はうっすらと滲んでいるけれど、傷は浅い。それを確認してホッと胸を撫でおろす。
 この展開を予め想定していた私は、救急箱と傷を隠す為の化粧道具もばっちし用意している。
 これくらいの傷ならなんとか誤魔化す事は可能だ。

(な……なんでそんなに見つめてるんだ……? それにちょっと……近くないか?)

 ふいに心の声が頭の中に響いてきたので、咄嗟に顔を離した。
 そこで改めてヴィンセント様の様子を伺うと、いつの間にかその顔が真っ赤に染まり、恥ずかしがる様に私から視線を逸らしている。
 先程まで見せていた子供の様な幼さは消え失せ、今は色気ある男の顔になっている。
 ……それは反則すぎる。

 不意打ちで見せられたその姿に、こちらまで顔が熱くなってきた。

 その気まずさを誤魔化すように、私は口早に説明する。

「今、傷の具合を確認してみましたが幸いな事に傷は浅いので馬車の中で手当てをしてお化粧で隠せば大丈夫そうです。何の問題も無いですよ」
「あ……そだったんだ! ありがとう! やっぱりレイナちゃんは優しいなぁ」
(なんだ、傷を見ていたのか……。俺はてっきり……)

 …………。

 え、そこで終わっちゃうの? てっきり何だと思ったの? 何されると思ったの? 心の声なんだから、そこはハッキリ言いなさいよ。

 心の中で反論してみるも、残念ながら彼の心の声は沈黙を貫いている。気になるけれど、仕方ない。

 とりあえず傷はなんとかなるとして、次の問題は服装だ。
 私はヴィンセント様の傍についている公爵家の執事に声を掛けた。 

「すみません、代わりになりそうなお召し物は――」
「ここにございます」

 年配の執事が差し出したのは、綺麗に折り畳まれている煌びやかな衣装。どうやら彼もこの事態は想定済みだったらしい。さすがは公爵家の執事ね……と感銘を受ける。

「ありがとうございます。後で着替えますので、馬車の中に乗せておいて頂けますか?」
「かしこまりました」
「さあ、ヴィンセント様。忘れ物は無いですか? ハンカチちゃんと持ってます?」
「うん! 大丈夫!」
「それでは、馬車に乗りましょう。足元に気を付けてくださいね」
「はぁーい!」

(……まるで母と子の様なやりとりだな)

 いや、誰のせいだと思ってるの?

 口から飛び出しかけたツッコミを飲み込み、ヴィンセント様の後に続いて私も馬車に乗り込んだ。
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