婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした
 先程、上着のボタンを追いかけて行ったヴィンセント様は、確かにボタンを握りしめて戻ってきた。
 だが、何故か上着の二つ目のボタンも外れている。それに加えてなんだか凄く汚れている。ヨレヨレだし。そしてなぜか靴が片方脱げている。セットしていた髪もぐしゃぐしゃに乱れている。

 ……追い剥ぎにでも合ったのかしら。

 私の近くまで近寄ってきた彼の上着は濡れているのか、ポタポタと水滴が滴り落ちている。

(素晴らしく無残な姿だ。見事なまでに完璧に決まった)

 何を決めてきたのかは、素直に聞いてみる事にする。

「ヴィンセント様。一体あなたの身に何が起きたのでしょうか」

 私の問いに、ヴィンセント様はてへへっと照れる様な笑みを浮かべた。照れる要素がどこにあったのだろう。

「廊下でボタンを見つけて拾おうとしたら、今度はもう一個のボタンも外れて落ちちゃったんだよ! それをまた拾おうと追いかけてたら階段から転げ落ちちゃって……気が付くと靴も片方なくなっちゃってたんだよね。それでとりあえず、一旦戻ろうと思ったらすれ違った人とぶつかっちゃって、その人が持ってた飲み物が服にかかっちゃったんだ」
「まあ、それは大変でしたね」

 どえらいコンボを決めてきた事は分かった。それはともかくとして。
 恐らくこれらも全て――。

(自作自演だけどな)

 でしょうね。

 私は頭を押さえて俯くと、ありったけの肺活量を使って溜息を吐いた。
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