婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした
 とっさに目尻を拭うと、たしかに指先が濡れた。
 自分でも何故泣いているのか分からない。
 ただ、ヴィンセント様の優しさが温かくて、嬉しくて……。安心したのかもしれない。
 ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたような……そんな感覚になった。

 涙は今もまだ途切れる事無く、勢いを増す様にポロポロと私の瞳から零れ落ちる。

 その涙を見ていると、自分の弱さを思い知らされる。

 悔しい……。せめて彼の前だけでも、強い自分であり続けたかったのに。

 いくら強い自分を装っていても、どれだけ体を鍛えたとしても……心を武装する事なんて出来なかった。
 虚勢を張ってはいたものの、それでも痛くない訳では無かった。
 皆から向けられる冷たい視線も、悪意のある言葉も……私の心を少しずつ削り取っていく。
 そんな私の心の傷を、ヴィンセント様に見透かされた様な気がした。

 だけど……たった一人だけでも本当の自分に気付いてもらえる事が、こんなにも心が救われる事だったなんて――。

「……誰だ? レイナを泣かせたのは」

 …………え?

 その声を聞いて、私は驚きのあまり言葉を失った。

 今のは心の声じゃない。間違いなくヴィンセント様の口から放たれた言葉。

 だけど、その声色はいつもの高い声ではなく、聞き馴染んでいる低音のイケボイス。

 頭の中でいつも聞こえていた彼の声だった。

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