婚約破棄されたい公爵令息の心の声は、とても優しい人でした

 そこからの記憶は殆どなく、気付いた時には帰りの馬車の中だった。

 向かい側に座るヴィンセント様は言葉を発する事なく、窓の外の景色を眺めている。
 ふいに私と目が合うと、彼は月光が反射する瞳を細めて優しい笑顔で応えてくれた。
 それがまた恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまった。

 ――ずっと彼の心の声を聞いていて、自分が彼の一番の理解者だと思っていた。
 彼の事なら何でも分かる……そう思っていたのに。

 今は何も分からない。

 あれほど私から婚約破棄される事を望んでいた彼は、果たして今どんな気持ちなのだろう。

 彼の私に対する気持ちは結構前から知っていた。
 心の声で『優しい』『可愛い』と連呼されればさすがに気付いてしまう。

 以前、ヴィンセント様は私との結婚を本気で考えてくれた事があった。
 彼は私と結婚するのであれば、子供のふりをやめようとしていた。
 彼自身も、私の前で偽りの姿を見せ続ける事を気にしていたから。だけど、そうした場合に予想できるのが女性問題の再来である。
 残念なことに、この世には結婚している男性にも色目を使ってくる女性は多数存在する。そんな女性に近付かれた場合にハッキリと拒めない彼は、私を傷付けてしまうと思って結婚を諦めていた。
 そんな人がいれば私が蹴散らすから問題ないと思ったけれど、それを言う訳にもいかず、何の進展もみられなかった。

 だけど今日、彼はハッキリと女性を拒絶する事が出来た。
 ずっと縛られていた強固なルールから解放されたのだろう。

 だから――もう婚約破棄なんて望んでいないのだと信じたい。

 彼が私を守ってくれると言ってくれたのも……きっとそういう事なのだと。

 心の声は聞こえなくなってしまったけれど。

 これからは、彼の言葉を信じればいい。
 たったそれだけの事なんだ――。


 
 その日の夜は、公爵邸の来客用の部屋に泊まらせてもらった。
 次の日、朝食をヴィンセント様と一緒に食べた後、当初の予定通り、私は自分の屋敷へ帰るために公爵邸を後にした。
 ヴィンセント様は子供のふりをしなくなった事で、やらなければいけない事が多くあるらしく慌ただしく動いていたけれど、私が帰る時間になるとわざわざ時間を作って見送りに来てくれた。
 その表情はどことなく寂し気な様子で……きっと別れを惜しんでくれているのだろうと思った。

 次に会うのは一ヶ月後。

 それまでに、彼の前で緊張しないように心の準備をしておくことを胸に誓った。


 この時……彼が何を考えていたのかを知りもせずに――。



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