課長に恋するまで
「失礼。僕が持ちます」

 課長はそう言って、私の手から避けるように傘を持ち直した。
 訳がわからないまま、課長と相合傘をして歩き出した。

 課長との距離が縮む。

 整髪料とコロンの混じった香りを感じて鼓動が早くなる。
 課長は私を濡らさないように傘を私の方に傾けて、私の左肩を抱くように掴んで傘に入れてくれていた。
 課長にすっぽりと包み込まれるような体勢だった。

 男の人とそんな風にして歩いた事がないから、どうしたらいいかわからず、そのままでいた。

 タクシースタンドの前で課長が立ち止まった。
 タクシーがちょうど停まっている。

「一瀬君、ありがとう」

 そう言って、傘を渡された。
 課長の指に触れないように気をつけて傘を受け取ると、握りの部分に課長の体温が残っていた。

「一緒に乗って行く?」

 タクシーに乗り込んだ課長が伺うようにこっちを見た。

「だ、大丈夫です。後ろのタクシーで帰りますから」

 これ以上一緒にいるのは図々しい気がして、そう答えた。

「じゃあ、お疲れ様」
「お疲れ様です」

 ドアが閉まると、課長の乗ったタクシーが走り去って行った。
 急に課長の温もりが残る、傘の握りの部分が大切な物のように思えて、強く握りしめた。

 なんだろう。この胸の奥が締め付けられるような気持ちは。
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