僕の素顔を君に捧ぐ

優花は笑顔で水野のマンションを後にした。

ユニフォームである淡いピンクのワイシャツの上にダウンのコートを羽織り、足取りも軽く歩き出した途端、バッグの中の携帯が鳴り響いた。

家政婦派遣会社の女性社長、大川慶子からの着信だと分かり、優花は嫌な予感を感じつつ通話ボタンを押す。

「おつかれ優花!ちょっと今いいかな」

大川社長は、お客様には細やかで丁寧な反面、若いころ「レディース」という暴走族だったころの名残か、社員に対しては言葉づかいが荒い。ただ、100人単位の族を束ねていたというだけあって、統率力があり、情に厚いところもあるから憎めない。

優花はその懐の深さとなつっこさに乗じて、つい気安い口をきいてしまうが、大川はそんなことは気にも留めない。

「社長、勘弁してよ…今仕事終わったばかりだっていうのに」

「終わったところならちょうどいいや、あのさ、新規の依頼主様をお願いしたいのよ」

「ええっ?」

優花は立ち止まり、眉根を寄せて唇を尖らせた。

長期休暇を取らせてほしいと伝えたばかりなのに、大川社長は優花に暇を与える気がないらしい。

両親を亡くして以来、2歳年下の弟の大学費用を稼ぐために今のハードワークを選んだが、彼が無事に関西の企業に就職した今、もうがむしゃらに働く必要はなくなっていた。

それに優花には、仕事を休んでしてみたい、ある夢があった…。

「社長、私、水野様の契約が終わったら休暇を申請するって前にお願いしたのに」

「わかってる、わかってる。でもさ、来月からウチ、ビル清掃のサービス始めるんで人手が足りないの、知ってるでしょ。それに、先方に条件があって、それをクリアできるのがあんたしかいないの。とにかく明日の朝7時、今から言うご自宅に伺って」

今の時刻が、午後10時。自宅のアパートに戻ると11時を過ぎる。睡眠時間の確保すら危うい。

「わかりました。でも、お客様の自宅に直行でもいい?事前に事務所に寄ったら睡眠時間が確保できない」

「オーケーオーケー。ちょうどビル清掃で使うダストカーがさ、事務所に20個も納品されて、こっち、メチャクチャ狭くなっちゃってるから来なくていいよ」

「ダストカーってやっぱ大きいんだね」

「折りたためるけどね。広げれば小柄な優花二人は入るよ」

「私はゴミじゃないってば」

「ゴミって言いたいんじゃなくてさ、小さくて可愛いって言ってんの。優花は目はパッチリだし、華奢だし可愛いよ」

「うふふふ」

「それに優花は可愛いだけじゃなくて仕事もデキる!」

「…了解!社長、明日頑張ってお仕事取ってきますっ」

「よしっ、その調子、優花、頼んだよ!」

「はいっ」

優花は笑顔で電話を切ると、はっと我に返って肩を落とした。

「また、社長にのせられた」

冬の冷たい風が頬を冷やす深夜の道を、優花はとぼとぼと歩いた。

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