僕の素顔を君に捧ぐ
ある朝、いつもの時間に優花が起床すると、すでにキッチンに如月が立っていた。
「すみません、もう起きてらしたんですね」
「座って」
如月はコーヒーを落とし始めた。美しい手先をゆったりと動かすと、深い香りの湯気が立ち上った。まるで魔法みたいだと優花は思った。
「このあと、警察に行くぞ」
「警察ですか、なにがあったんですか」
「おばあちゃん…春江さんのことだ。ちゃんと、見送りたいだろう」
優花は心臓を打たれた心地がした。自分の胸の奥でくすぶっていた感情が一気に破裂したような心地だった。
「…春江さんは、私にとってお母さんにも似た存在だったんです。煮物のやり方は、春江さんが教えてくれました。ぶり大根のぶりをふっくら煮るにはどうしたらいいか、カボチャを崩さず煮るにはどうしたらいいか…春江さんは、一人なんかじゃないんです」
そこまで言って優花はこみ上げる感情に打ち勝てなくなった。
如月に背を向け、あふれそうな涙をおさえようと堪えているとき、ふと背中が温かくなった。
如月の長い腕が、優花を包み込む。
優花の瞳から大粒の涙が零れ落ち、温められた背中が悲しみに震えた。
「春江さんを、見送ろう。僕が付き合う」
如月は分厚いレンズの眼鏡をかけ、ニットのキャップを被った。簡素な変装だったが、如月琉星のオーラを完全に脱ぎ去った如月は、不思議と別人のように見えた。
無縁仏となった春江さんの遺骨を優花が埋葬するという手続きは、如月のサポートのおかげで何とか滞りなく進んだ。
後日、小さな霊園で、二人だけで樹木葬を行った。如月は、一人霊園に佇んで涙を流す優花の横に、何も言わずに立っていた。
モクレンの花が、柔らかくなり始めた冬の終わりの風に揺れていた。