初めては好きな人と。

「嬉しいなぁ、覚えててくれたんだ」
「ど、どうして、ここに…」
「どうしてって、僕たち結婚するんだよ?」
「その、話は…、もう無しに」
「この前は、変な男に邪魔されちゃったからさぁ、婚姻届また書いて持ってきたんだ。一緒に出しに行こうよ」

 洋二は、ニヤニヤとした表情で私の目の前まで来る。そして、私の腕を掴むと乱暴に引き上げて、いきなり抱きしめてきた。

「やっ!やめて!」

 両腕で押しのけようとしても、びくともしない。
 多田野は、私の肩と腰をがっちりとホールドして、首筋に顔をうずめる。その感触に、ぞっとして鳥肌がたつ。

「いやっ!触らないでっ!」

 思い切りヒールで多田野の足を踏みつけた。痛さにひるんだすきになんとか腕から逃れるも、膝が笑って思うように動けずまた尻もちをついてしまう。
 多田野は、痛みでゆがんだ顔で私を睨みつけた。その目には怒りと侮蔑がはっきりと浮かんでいる。

「いってぇなぁ!下手に出てやれば調子乗りやがって!俺さまみたいな金持ちにもらわれるだけ有難いと思えよなぁ!」
「いやっ!」

 罵声と共に、多田野の腕が振り上げられたのが視界に入り、私は両手で身構える。
 けれど、衝撃はやってこなくて、代わりにうめき声とドサッと何かが倒れる音がして、私は恐る恐る目を開けた。

「美月!大丈夫か!?」

 視界いっぱいに、護が映った。

「ケガは?なにされた!?」
「まもる…」

 5階まで全速力で駆け上がってきてくれたのだろう。私を心配そうに覗き込む護は、肩で息をしていた。

「多田野は…」

 さっきまで居たはずの人影が見当たらないと思えば、護の向こう側に蹲っている多田野の背中があった。腹を押さえて呻いている。

「こわかった…」

 怖かった…本当に…。
 護が来てくれなかったら、どうなっていたか…、想像しただけでもぞっとする。

「大丈夫、美月…もう、大丈夫だから」
「護…、怖かったよ…、…まもる…」

 さっきは怖すぎて出なかった涙が、今になって溢れだす。
 その瞬間、私は護に抱きしめられていた。護の両腕が、息をするのも苦しいくらい強く力の限り抱きすくめる。
 それは、さっき多田野にされたのと同じ行為なのに、私に安心感を与えた。

「ごめん美月。ごめん、ちゃんと部屋まで送っていけばよかった」

 護は悪くないのに、護のせいじゃないのに、また謝るんだから。
 堰を切ったように涙があふれてくる。護の前だと、涙が止まらないのはなんでだろう。
 ずっと、こうしていて欲しい。抱きしめられていたい。
 護の腕の中、安心感に包まれながらそう思っていた。


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