初めては好きな人と。
心の声を読まれたかのようなセリフにドキッとして顔をあげると、忘れもしないあの鳶色の瞳が私を見つめていた。
さっきは他のことに目が行く余裕などなかったから気づかなかったけど、目の前に座る彼はとても清潔感のある出で立ちをしている。見るからに高そうなスーツは彼の肩幅や四肢の長さに合わせて設計されたオーダーメイドだとわかるし、漆黒のサラサラな髪はワックスで整えられている。
昔から二重瞼のくっきりおめめで可愛い可愛いと周りから言われていた護は、二重瞼こそそのままだけれども、キリっとしたかっこいい大人の男性に成長していた。
「だって…、夢みたいで」
窮地を救ってくれた相手が、再会を夢見ていた幼馴染で、さらには大手企業の御曹司だったなんて、一体誰が信じてくれるだろう。
「あれから、元気してた?」
護の言う「あれから」が、施設で別れてからのことだということはすぐにわかった。少し翳りのある表情でそう問う護。もしかしたら彼は、自分だけがもらわれて行ったことに罪悪感を感じているのかもしれないと思った私は努めて明るく言った。
「うん、元気だったよ。ほら、私って、体だけはやたら丈夫だったじゃない?」
護と一緒に外で遊んで、雨に降られて帰った時だって、護はつぎの日熱を出したけど私はピンピンしてたくらいだ。
「そうだったね。なんで美月は風邪ひかないんだろうっていつも不思議だった」
名前を呼ばれて、胸が高鳴る。
私の記憶の中の護は、声変わり前の護だから、少し低くなった声は聞きなれなくてドキドキしてしまう。
「護は?施設を出てから、どうだった?新しい家族とは上手くいってる?」
絶えず穏やかだった護のことだから、きっと養子先でも可愛がられただろう。
「うん、すごく優しい人たちで感謝してる。…それより、美月は…、あの約束、覚えてる…?」
「…迎えにきてくれる、っていう約束のこと…?」
「覚えててくれたんだ。もう10年以上も前のことなのに」
「護こそ、覚えててくれたなんて思わなかった」
あんな子どもの口約束を、忘れずにいてくれた。そしてこうして本当に会いに来てくれた。その事実が、とてつもなく嬉しい。
「ホントはもっと早く助けに来れたらよかったんだけど、ちょっと事情があって」
「ううん、こうして助かったんだもん、それだけで充分だよ。ありがとう、護。本当に、ありがと…」
安堵や嬉しさで胸がいっぱいになって、涙がこみ上げてきてしまう。着物に落としてシミになってしまったら大変だと、慌てて鞄から出したハンカチで目元を押さえた。
「ご、ごめん…泣くつもり、なんか、…っ」
泣いたのなんて、いつぶりだろうか。はっきりと思い出せないくらい久しぶりだった。
おかしいな。
すぐ泣き止むと思ったのに。
なぜだか色んな感情がごちゃまぜになって、なかなか涙は止まってくれない。
すると、近くに護の気配がしたかと思えばつぎの瞬間には、私は護に抱きしめられていた。隣の椅子に座った彼は、私の頭に手を回すと優しく自身の胸に押し当てた。
「不安だったね…、ずっと一人で…」
護の言葉に、私の中の何かがストンと音をたてて落ちたのがわかった。
そうだ、不安だった。
身よりもなく、頼れる人も居なくて、ずっと一人で不安だった。
ずっと考えないようにして、毎日を必死に生きてきた。息をつく間も無いほど、必死に。
そこに、多田野建設の社長の息子との結婚話が入り、とどめを刺された気がしていた。
本当に、気が滅入っていたの。死んでしまおうか、なんて考えが一時でも頭を過ぎるくらいに。
それを、無機質な施設での生活を共に過ごした唯一心を通わせた護と再会したことで、ピンと張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れてしまったみたいだった。そのせいで、涙があふれて止まらない。
「ごめん、美月がツラい時にそばにいてあげられなくて」
護が謝ることではないのに。護はとても優しい人だから、私を置いて一人施設を出ていったことを後ろめたく思っているに違いない。施設でも、怒られた時はいつも「美月は悪くない、僕が誘った」と嘘をついて私をかばってくれた。それまで誰かに守られることは愚か、誰かを守ってあげたいと思ったことなどなかった私に、誰かのためにつく嘘の美しさを教えてくれたのは護だ。
「これからは、もう美月を一人にはしないから」
「…まも…る…っ」
護の優しい言葉に、私はおんおん声をあげて泣きはらした。
ひとしきり泣いて落ち着いて、思考回路が平常運転をし始めた私は、途端に恥ずかしくなって護の胸をそっと押して離れる。
「少しは落ち着いた?」
「ご、ごめんなさい…私…、あっ、やだ、スーツがっ」