私だけを濡らす雨/ハードバージョン
戸惑う面々


弁護人の辻合は、依頼人の桜木から本事件被告人の妹に会った結果について報告を受けていた。

「…では、こちらでお願いした録音、出来なかったってわけですな?」

「はい…、いや申し訳ない。何しろ郡氷子の妹ってことで、あれこれ考えを巡らせていたら、緊張してうっかりしてしまいました」

「そうですか…」

”桜木のそれは虚偽だろう。どうやら、妹とのやり取りは本件の弁護人には聞かせられない中身も伴っていたようだな”

辻合は桜木のウソを見切っていた


***


「…それで、ここに来て、被告への損害賠償額は極力満額、もしくは額面での示談成立は強硬姿勢で臨んで欲しいと…。そういうことですか?」

辻合は分厚い眼鏡越しに訝し気な視線で依頼人の顔を刺すように見つめ、そう確認した。

「ええ、それでひとつお願いしますよ、先生…」

「う~む、しかし、これは先だってからのあなたがおっしゃっていた方針とはえらく違ってくる。今回の被告、郡氷子は危険な人物だってことで、極端な話、相手方の条件丸呑みでも早期解決を最優先で願いたいとおっしゃってましたが…。さて、ここへきての方針転換ってのは、どういった心変わりなんでしょうね?」

辻合の突っ込みに、正面のソファで半ば固まっている依頼人の桜木は、うつむいたまま、返答に窮していた。

言うまでもなく、この弁護人は、たった今目の前の依頼人に問うた答えは既に察していた。
というか、これはどう見てもわかりきっていたのだ。

桜木正樹が自分で進言してきた被告、郡氷子の実妹と会った直後に、金銭面での要求を強化させたのだ。

これは、客観的に捉えれば、イカレた姉へ恐怖心を抱く、現在引きこもり中の妹には、同情の念が生じてしまったと…。
で…、出来ればこの気の毒な境遇の中2少女には、力になってやりたい…。
ならば、この際、この子の姉ではあるが被告人には可能な限り多くのお金を払わせ、妹のためにあてがってやれれば…。


***


ベテラン弁護士の辻合は、当初から、どこか人の情に流されそうなメンタル面での世淡さを桜木から感じ取っていたのだ。
さらに、辻合は”ひょっとすれば、あのイカレた女と血を分けた妹が、桜木に姉さんからたんまり分捕って欲しいとせがまれた可能性だって否定できん!”との、見立てにたどり着いていた。

なにしろ、辻合は郡氷子の実妹、ツグミと桜木より先に接触、直に話をしているのである。

”被告の姉さんがアレなんで、多少の色眼鏡はあったが、あの妹もどうしてどうしてって感じはあった。なにしろ、あのこまんしゃくれ具合は妙に気になる…”

だが、実際面として、弁護人の辻合にとって、その辺の細かい諸事情はどうでもよかった。
明らかに尋常なき、要は通常常識が通用しないキケンな裁判相手とはさっさと切れたい…、それが自他ともに認める典型的な事なかれ主義者であったこの初老男のホンネであった。

故に!
この時の辻合は、このあまりにもわかりやすい依頼人のリアクションを目の当たりにし、昨日までの戸惑いはあっさり消え果てて、既に頭の中はいかに審議初期段階で幕引きできるかのシュミレーションを描いていたのである。

だが…、桜木の愛犬ロックスを出血死に至しめた狂気のオンナ、郡氷子とのこの裁判は第一審を迎える前に事実上、終局することとなる。




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