花嫁は婚約者X(エックス)の顔を知らない
全寮制だと言うので帰国時の荷物を解かず、そのまま寮へと持っていった。

「晴翔、久しぶりだな。」

「ああ。そうだな。」

「久しぶりに会ってそれだけか?」

「他に何かあるのか?」

「くくっ。相変わらずだな。」

寮では幼い頃からよく遊んでいた修治が同室だった。よく遊んでいたと言っても大人の集まりで子ども同士一緒に過ごしたり、小学校で時たま同じクラスになったという感じだ。コイツと咲良だけは刺々しく突っかかってこないので昔から害がない。特に咲良は色目を使ってこない珍しい女だった。

学校へ通い始めたが仕事も継続しているので休みがちな学校生活だったが、修治が休みの間の出来ごとを教えてくれた。
仕事のできる秘書みたいな奴だと思った。

夏休みの間は学校がないので毎日本社へ通勤していた。やるべき事をこなしていれば文句を言われないので学校にいるよりも会社にいた方が
気が楽だった。学校へ行けば男子は『天才は勉強しなくても成績が良いからズルい』と言い、女子は『真宮くんカッコいい』と甘ったるい声を出して邪魔だった。天才だからと言って勉強しない訳じゃない。普通の人より理解が早いので反復する必要がないだけなのだ。顔だってただの遺伝だ。俺に何か出来ることではない。
数ヶ月通っただけで高校生活はウンザリだった。

取引先から珍しく電車で帰社し駅から本社まで歩いている途中、先程まで暑苦しかった気温がスッと下がるのを肌で感じた。空を見上げると雲が覆い薄暗くなった。

 ゲリラ豪雨でもくるかな…。

と思った瞬間に大粒の雨が降り出した。
ライトグレーのスーツに濡れた雨粒の跡が濃く滲んだ。慌てて開店前の居酒屋の軒下に避難する。

 数分ここで待てば直ぐに止むな。

そう思いながら雷鳴が響く重々しい空を眺めていると同じように雨宿りをしに同じ年くらいの女が走り込んできた。
女はハンカチで濡れた服を拭きながらこちらをチラッと見た。

「もしかしてお仕事中ですか?」

「ああ。」

「それなら…、はい。良かったらどうぞ。」

女はカバンから紺色の折り畳み傘を取り出して俺に渡してきた。

 傘をもっているに雨宿り?
 俺が誰か知っての接触なのか?

「自分で使えば良いじゃないか。」

「傘があっても雷が怖くて…。どっちみち動けないです。早く会社に戻らないと上司に何か言われてしまいますよ?」

俺より上の上司は親父くらいだ。親父は雨で遅れたくらいで俺には何も言わない。

「上司は俺に甘いから問題ない。」

「優しい上司なんですね。」

「優しいのは君だろ。他人の心配して自分の傘を出そうとするなんて…。」

 そう、なんの得もないじゃないか。その上傘まで持って行かれたらその傘も手元に戻ってくる保証はない。彼女は俺の苦手な無能な人間なのだろうか。

「昔観た映画で小さな男の子が自分にしかできない小さな人助けをしてそれが世界中に広がるってストーリーだったんです。それを観た時、とても感動して、それから自分にできることがあればどんな小さなことでもやってみようと思えるようになったんです。」

「その映画なら知ってる。残念ながらその少年は亡くなってしまうって話だよな…。」

結果、少年の努力は報われずに死んだ。周りに少年の気持ちが届いたのは死んだ後だった。

「例え自分が亡くなってしまっても、少年の意思は引き継がれましたよ。私は別に急いでいないので傘がなくても大丈夫です。雨が止むまで待てます。お仕事があるあなたの方が傘が必要なのかと思いました。」

 何の考えもなく無駄に傘を渡そうとしたわけでは無いんだな…。

「有難い話だが、俺も急いでいないから大丈夫だ。」

『有難い。』何となく自然と言葉が出た。今まで感謝の言葉が自然と出ることはなかった。

ピカッ!ドドーーンッ!

「きゃっ!」

雷鳴に驚き彼女は耳を塞ぎ少し体を丸くする。

 雷が怖いって言ってたな…。

「…大丈夫か?」

「…はい。すみません。どうしても雷が苦手で…。」

隣で空が光るたびに震える彼女を見ると自然と抱きしめてしまいたくなった。

「俺も…その映画の真似をしようかな。」

「えっ?」

「今、俺しかできない親切だ。1人より誰かそばにいた方が雷も怖くないだろ?」

「ええ、そうだけど、お仕事に遅れてしまうんじゃ…。」

「さっきも言ったが俺の上司は俺に甘い。問題ない。」

「ありがとうございます。」

ほっと安心したような彼女の表情を見ると自分も安心した。
彼女の不安をさらに取り除こうと世間話をした。どうやら俺たちは同い年で彼女はこの近隣で働く父親にお弁当を届けにきたそうだ。
同じ年齢でスーツを着て働く俺の姿を見て苦労人とでも思ったのだろうか、『上司に恵まれて本当に良かったですね。』と更に俺を気遣う言葉をくれた。暫くそんな話をしていると雲の隙間から光が差し虹がかかった。
虹に感動して見上げる彼女の嬉しそうな顔を見るとコチラまで嬉しい気持ちになった。
彼女といると不安な感情、ホッと感情、嬉しいという感情、様々な気持ちが移る。他人と気持ちを共感するとはこういう事なのだろうか。初めての体験だった。

完全に雨が止むと彼女は俺に感謝を伝え父親との待ち合わせ場所へと向かった。
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