電子商業誌企画文と絵(小説を読むボタンから見てください)
ちゅん様
別れの曲
わからない。
だが私は単身赴任で寂しい思いをしてた。精神的に仕事で追い込まれてたからか?松吉という雛文鳥を堺東の高島屋で衝動買いし、私が無理な時は実家にさし餌を依頼して、原因不明で亡くした為だろうか?
きっとそうだろう。
私は松竹梅という手乗りを飼おうと、羽衣の鳥獣店で二羽のウゴ雛文鳥と出会った。それが一目惚れだった。
もうすぐクリスマスという時期に休暇が有るため、私は一羽の竹の名をかざりウゴ雛文鳥の翼に青のマジックで記しを入れて貰い、手乗りを育てるのが得意な女将に引き取り依頼をした。無知な私はその時、梅の名をかざる為に小桜インコの欲しかったゴールデンチェリーが入手出来ない為、ルチノーの雛も一緒に依頼した。
そして私は中安井のマンションの五階の一間に二羽の雛鳥をさし餌しながら、桜文鳥の彼と小桜インコの彼女が一人餌になる様に、さし餌を続け、遊び、寝かした。竹三と梅作は問題なく、一人餌に以降した。
それからは洗濯紐を張って、選択物を取り込んでから、私達はわずかな触れ合いを味わった。
竹三は私好みの中雛文鳥から美しい、私好みではない成鳥に育った。梅作も立派な成鳥に育った。
だが、私の留守中竹三の尾羽がシンクに落ちていた。手のひらで水浴びした時の物ではない。私は安物のマンションの鍵に恐怖を覚えながらも、竹三と梅作の私の仕事中の寂しいを紛らわす為、雑誌「アニファ」の里親募集をしていた、神戸の鳴きローラカナリヤの飼い主から
ささやかな賞を取った喉の黄色のオスと兄弟の普通の二羽を譲り受けた。彼らを「のどき」「みどり」と名付けた。
彼らはウーシャやりっぴーより、少し短い求愛ソングしか歌えない竹三と違い、川のせせらぎの様な美しい求愛ソングを別々の籠で競い合い、四羽の寂しさを癒やしていた。
こうして私達は恐怖と戦いながら、仲良く過ごした。セックスレスの私に、交尾を拒絶されつづけた竹三は、私の右手の中におさまり、梅作は私の首の後ろに潜り込んでいた。私達は幸せだった。
ところが、竹三が餌を食べなくなった。私は新家町のダクトリ動物病院に行き、薬を貰いアワやヒエをひと粒づつ、嘴に運び、ラブマンといいながら、必死に彼に餌を与えた。「カッコイい男はたくさんたくさんご飯をたべるんだよ」と話しかけながら、ひるむ事無く何日も何日も彼に餌を与え続けた。
そして彼は更に私を愛する様になり、私に足りない求愛ソングを歌ってくれた。
私はセックスレスなので「気持ちは嬉しいけど、ごめん」と彼に謝って、何度も何度も愛の儀式をお断りし続けた。
すると彼は更に私を愛してくれた。
結果は私が二十七の時に出会った彼は、三十の私を無理やりモノにするのだが、その時まで三年の月日をようする事になる。