電子商業誌企画文と絵(小説を読むボタンから見てください)
ちゅん様&ちゃっちゃ
別れの曲
そのうち芋づる式に増えた大半メスばかりの文鳥ファミリーに愛娘のシナモン文鳥の茶々丸が居た。私が変態なのだ。色素の薄い文鳥が桜中雛文鳥を彷彿させ、カラー文鳥をコレクションする様になったのだ。本当はオス文鳥を数羽配置し、彼らが電力で狙い撃ちされるのを防ぐのが目的だったのだが、本末転倒しハーレムになってしまった。
愛娘茶々丸は狂い死にした朱ノ助と同じトリコモナス症だった。クウ動物病院を見舞い電話の為、獣医師におわれ、行くあても無い私を誘うかの様に現れたのが少林寺に構える中津賞獣医学博士チームだった。茶々丸の為、全ての毛を剃った私達をあたたかく迎え入れてくれた中津院長は茶々丸は頭に原虫が寄生してる可能性があると指摘し、院長が腕をふるえる前に切開手術をしようと勧められた。だが私は怖かったので断り、与え続けてたラウディブッシュを与えゆっくりと籠から下ろし、ピャチャピチャゆんゆんの唄を歌いながらお風呂する毎日を大切にした。そして韓流ブームが到来しぺ·ヨジュンが大ブレイクした時、ゆんゆんの唄がヨン様を読んだのかと馬鹿な妄想をした。私は高河ゆん先生の名前を連想したのだが…
そして翁橋町のマンションも電力攻撃が盛んになったので、自転車通勤時、交通事故で右手舟状骨骨折もした事だし、コンパニオンバードライター磯崎さんの本に感化された事もあり、私達は石津町の石津大社の近くの中古住宅をローンで購入手続きをし、また夜逃げをした。その時タクシーと動物園の運搬車を利用し文鳥ファミリーは無事に引っ越しを終えた。キッチンフロアに全和室をリホームした私達は「アニファ」の文鳥楽園の伊藤美代子さんのラー君の脚力筋肉upの提案にのっかり、HOEI最大の籠を大半の家族に提供した。勿論茶々丸はHOEIの元の籠のままだ。
しかし茶々丸を溺愛していたI上和彦に私が電力で辱められ茶々丸が狙撃され私は家具を壊す事なく両翼のツバサを形見に引き裂く事無く、一羽限りの愛娘と死別した。彼女も三歳を迎える事無く私は取り残された。そして「ちょびっツ」は八十八夜で完結した。
愛娘を亡くした私を次に襲うのは竹三との死別だ。階段の傾斜の険しく狭い二階に、風呂でK梨憲武にclampか文鳥達家族かどちらか選べと脅され、溺死させられかけた私が気絶してる内に、竹三は餓死した。新鮮な餌とデカ過ぎる籠がK梨憲武を手伝ったのだ。私は桜塚星史郎が邪悪な笑みを浮かべるがごとく笑む事以外できなかった。
いつかくる「別れの曲」は私にキチンと訪れた。私はまた家族を七歳にしてあげる事ができなかった。これは七五三の呪いかと思った。