星と月と恋の話
この広い敷地は、加賀宮さん所有の道場だ。

道場と言っても、まともな門下生は僕しかいない。

というのも、全てはこの加賀宮師匠の出不精と、人見知りな性格に起因する。

知らない人を見ると、例えその相手が子供だったとしても挙動不審になる。

どころか、近所の人に話しかけられただけでも、おどおどもごもごして家の中に引きこもる始末。

とはいえ、相手のことが嫌いな訳でも苦手な訳でもなく。

ただ、壊滅的に口下手なだけなのだ。

その口下手のせいで、いつまでたっても門下生が増えない。

の、だが。

根は悪い人ではない。その証拠に、こんな人でも、実は美人な奥さんがいる。

まだ幼い娘さんもいる。何度か会ったことがあるけど。

このおじさんの血を引いているとは思えないほど、可愛らしい娘さんだ。

でも、奥さんと娘さんは、ここには住んでいない。

師匠はここの道場を…無月院(むげついん)流という流派の道場を継いでいるので、単身赴任的な形でここに住んでいるが。

奥さんと娘さんは、奥さんの実家に住んでいるらしく。

時折、連休の日なんかに、ここを訪ねて何日か泊まっていくらしい。

別居生活ではあるが、夫婦仲は悪くないとか。

こんないかにも偏屈な人と、よく夫婦やってられるなぁと、密かに尊敬している。

あるいは、別居しているからこそ上手く生活が成り立っているのかもしれない。

じゃあ、そんな出不精な師匠が、どうやってここで一人で暮らしているのかというと。

食事は、全て宅配弁当で済ませ。

掃除洗濯は、週に二、三回やって来る家政婦さんに任せ。

その他必要な買い物も、家政婦さんに頼んで買ってきてもらうか。

あるいは、ネット通販で購入する。

そうすることによって、完全な巣ごもり生活を維持しているのである。

見事。あっぱれとしか言えない。

たまには散歩くらい行けばいいのに、と思うがそれはしない。

が、縁側で日向ぼっこくらいはする。

お家が大好きなんだろう。きっと。

まぁ、外に出るのが苦手なだけなんだろうけど。

そんな師匠だが、無月院流の一派を任されているだけあって、実力は確かだ。

僕がここに通うようになって、もう10年以上になるが。

未だに師匠から一本取れたことがない。

…って言うか。

お前、そんなことしてたのか、って思われそうだが。

何もしてなさそうな陰キャでも、意外と裏では何かしてるんですよ。知ってます?

先程門下生は僕だけと言ったが、本当の意味で正式な門下生なのかと言われると、実はちょっと怪しい。

お金払ってないし。

その代わり、こうしてたまに訪ねてきては、出不精で、家庭的からは程遠いおじさんの面倒を見ている。

「今日、クリスマスなんだって知ってます?」

「あぁ…。近いなとは思っていたが、今日なのか」

日付の概念も忘れてる。

一応、クリスマスが近いということは自覚していたらしい。

「お茶淹れてきて良いですか。ケーキ作ったので、お裾分けに来ました」

「そうか」

おいおい、人様の家の台所に勝手に入るのか、と思われるかもしれないが。

勝手知ったる何とやら。

何なら、この人の食事の面倒を見たこともあるので。

実は、家主よりこの家の台所に立った回数が多い。

じゃ、勝手に淹れさせてもらおうか。
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