LOVE, HATE + LUST
7-4
改札を出て蒼に「今着いた」とメッセージを送ると、ロータリーの乗降エリアに父の車が入ってきた。
後部座席のドアが開いて、乱暴に引っ張り込まれる。人が見たら拉致場面と思われてもしかたない感じ。
「朔! ごめん、俺が悪かったよ‼」
暉は私をぬいぐるみのようにぎゅうぎゅうにハグする。ハンドルを握る蒼が呆れて苦笑する。
「あ、きっ、苦し……」
私はしめ技をかけられた格闘家のタップアウトのように、暉の腕をバンバン叩く。
「あっ、ごめん。力入れ過ぎた」
はは、と笑って暉は私を解放した。
「ごめん。つい、7歳くらいのころのままで、考えちゃうから。勝手に突っ走って、ほんとにごめんね」
「もういいよ。私もつい言いすぎちゃったよね」
「夕飯は俺が作りたいところだったけど、それだけはやめろって蒼に止められたから……友達がやってる店に行こうな。何っっっでも、食べていいからな!」
また蒼がくすっと苦笑した。
海のそばの丘の上の小さなトラットリアは、暉と蒼の高校の同級生が経営しているらしい。
7割がアドリア海沿岸のイタリア料理、3割がクロアチア料理の店らしい。店の名前は『ruža』、クロアチア語でバラの花って意味なんですって。
「いらっしゃぁぁぁぁい!」
白シャツに黒いソムリエエプロン、黒のパンツ。茶髪のストレートを後ろできゅっと束ねた、サバ系美女が入り口で熱烈歓迎をしてくれる。
彼女は暉にヘッドロックをかける勢いでハグすると、背中をばんばん叩いた。暉が小さく「うぐっ!」とうめく。
ぽいっと暉を放すと、今度は同じように蒼めがけて……の手前で、蒼が左手の手のひらを彼女に向けて制す。
「俺は、いい」
ちぇ、と小さく舌打ちをして、今度は彼女は驚き固まる私を見て、「あらぁ!」っと喜びの声を上げた。
「あなたが暉の双子の妹さんね! やっと会えて嬉しい! 似てないのね! よかった! かわいらしい~」
滝田あかねさん。暉と蒼の高校のクラスメイトで、3年前までは外資系の航空会社のCAだったらしい。今はクロアチア人の旦那さんと、地元で小さなトラットリアを経営している。
彼女は奥の壁側のコの字の広いテーブル席に私たちを案内してくれた。店内にはまだ早い時間なのでほかにお客はいない。
「宣伝してくれるならサービスいっぱいしちゃうよ!」
はっきりした華やかな顔立ち、日に焼けた健康的なつやつやの肌。背は170㎝くらいはある。ハスキーな声、明るいしゃべり方。
「イラシャイ、アキ!」
厨房から白シャツの男性が出てきて暉とハグを交わす。緩やかな黒い巻き毛、ブルーの瞳のチャーミングな感じのイケメン。
滝田アントニオさん、通称トニさん。あかねさんの旦那さんでこの店の料理人。
3年前、あかねさんがCAをやめて暇なときに、暉に連絡して一緒に南欧を旅していた。ふたりがクロアチアを回っていた時に、あかねさんはドゥヴドロニクでトニさんと恋に落ちた、と、三人が楽しそうに話しているあいだに蒼が教えてくれた。
あかねさんは金曜日の同窓会には出席していなかったけど、新しくオープンしたトラットリアを暉にSNSで宣伝しろと言っていたらしい。
暉がうちのブックカフェのアカウントを作成して自分の旅のアカウントと連携させたのを機に、世界各地の友人たちの商売用のアカウントすべてと相互フォローさせると意気込んでいたのは私も知っている。
暉はトニさんを私と蒼に紹介した。彼はヴェネチアのホテルで料理人をしていたらしい。私たちより3つ年下。でも落ち着いているので年上に見える。
故郷で休暇中、出会ったその日にあかねさんにプロポーズして、その翌日には両親に紹介して週末に結婚式を挙げたと聞いて驚いた。
「俺があかね側の唯一の出席者で結婚証明書にサインした証人なんだ」
暉が自慢気に言う。
「あー! 思い出した! 何年か前、ヨーロッパのどこかの結婚式の写真、暉のSNSに上がってた。あれがあかねさんとトニさんの結婚式だったの?」
私の言葉にあかねさんが笑顔を見せる。
「そうそう。それ!」
「高校の時から型破りな女だったけどまさか、旅の最中に結婚するとはな」
蒼のからかい口調にあかねさんはひらひらと手を振る。
「そういうことも、長い人生にはありえるんだよ。たまたま旅行中に、運命の人が見つかっただけ。高校の頃は、思いもしなかったわ。私が暉と一緒に旅するなんて。あんたたちとは、同じクラスでもそんなに仲良くもなかったものね」
「高校のころから仲良しじゃなかったの?」
私の問いに彼女はあははと笑った。
「全然。5年くらい前だったかな、CAしてた時、たまたまジュネーヴの空港で暉と偶然会って驚いて、それからたまに連絡とるようになったのよね」
テーブルにはトニさんの料理が次々と出てくる。燻製されたプロシュートとオリーブの実、羊乳のチーズのスライスの前菜。タコ、ジャガイモ、玉ねぎをハーブとオリーブオイルでマリネしたサラダ、アヒージョみたいなエビのブサラという料理。牛肉の赤ワイン煮込みには、コロッケと呼ばれるニョッキを揚げたものを添えて。シュクリパヴァッツというチーズを厚めにスライスして焼いたものがすごくおいしい。
店の料理の3割ほどのクロアチア料理をメインに作ってくれたみたい。
暉は店の看板や内装、料理の数々を写真に撮ってSNSにアップするのに忙しい。私は蒼が取り分けてくれる料理を味わい、あかねさんが話してくれる暉と蒼の高校の時の面白話を聞いて楽しんだ。
小さな店は本日のディナーの予約客が3組だけ。そちらはバイトの男性給仕が担当して、あかねさんはほとんど私たちの世話を焼いていた。
彼女は店の外装を撮りに行った暉の後ろ姿を一瞥して私に言った。
「暉はよく双子の妹のことを自慢していて、女子たちはみんな、シスコンかよ、キモ! とか、半分あなたへのやきもちでけなしてた。男子が会わせろって言うと、人見知りだから絶対にダメだ! って。ねー、蒼」
「うん。家に遊びに行っても絶対に会わせてくれなかったって、この前ヒロトとも言ってたところだった」
「でしょ? いつでもどこでも絶対に妹自慢が始まるのよね。すごい溺愛ぶり」
「今でもちゃんと溺愛してるぞ!」
外から戻ってきた暉が言う。あかねさんは白い目を暉に向ける。
「いや、もう兄《あんた》の溺愛はいらないと思うよ」
ねぇ? と同意を求められる。
笑ってごまかすと、またまた蒼が隣でふっと苦笑した。