LOVE, HATE + LUST
第9話
9-1
白い大きな紙袋にあるロゴは、ショッピングモールのなかの店舗の一つ。
取り出してみると……
紺色のカットソー生地の、5分のベルスリーブのマキシワンピース。
買おうか迷って、また今度にしようと思ったやつ!
本当に、いつ買ったんだろう……着ろってことで、いいんだよね?
シャワーを浴びて、着替える。
着ていた服は手洗いして脱水機にかけてから乾燥させる。
そして夕飯の下ごしらえに取り掛かり……なんかおかしいことに気づき始める。
この1週間は蒼がうちにいたから夕飯は私が作っていたけど、それは暉のお客だったから。でもここは蒼の家で私がお客じゃない? それなのに、どうしてじゃんけんで負けたごときで私が夕飯を作っているの?
カノジョでもないのに……
そうでなければ「友達」だと仮定して……うん、友達なら夕飯ぐらい作ってあげる、かな?
でも友達なら……ちょっと、いやだいぶ距離感が……
「なに、その顔」
はっと我に返る。突然声がしたほうを見ると、湿った髪の蒼がいぶかしげな表情で私を見下ろしている。
足音にも気配にも気づかなかったので、びっくりして包丁を落としそうになった。
「なにって、何?」
「ここ。縦ジワ」
蒼は人差し指で私の眉間をぐっと押してくすっと笑った。
「……」
私のもやっとは、最近は100%あなたが原因なんだけど、と言いたいけど言わないでおく。
蒼は私のウエストを両脇から持つと、私を自分のほうに向かせて上から見下ろした。
「ふーん。似合ってる」
「……あ、ありがと」
「でも」
口の右端があがって、意地悪な微笑が浮かぶ。
「乾燥機に下着が入ってるってことは、この下は……」
するり。手が骨盤まで下がる。私は急いで一歩下がって蒼の手を払いのける。
「そこはスルーしておいて!」
「はいはい」
そのまま私の背後を抜けて冷蔵庫のドアを開け、蒼は中から輸入食品店で買った生ハムやパテとロゼワインを出した。
シャルキュトリをお皿に並べチーズも切りのせ、脚なしのコロンとしたグラスをふたつキッチンカウンターに置き、手際よくワインのキャップシールを外してT字のオープナーでコルクを抜いてゆく。抜いたコルクの底をすんと嗅いで口の端を上げるしぐさがやけに色っぽい。スリムなボトルからうすいローズ色のワインが、グラスに注がれる。
「あの時も思ったけど……すごく、手際がいいよね」
思わず感心して呟くと、蒼はふっと笑みを浮かべる。
「あんたすごい酔っぱらってて、俺にソムリエなんですかって訊いてきたな」
うっ……そんなことは忘れていてくれていいのに。
蒼は長い指でグラスを持ち上げ、私に差し出した。私がそれを受け取ると、自分のグラスのふちを私のグラスのふちにかすかにぶつけた。
コチン。
涼やかな音が鳴る。
食卓に回鍋肉と特製麻婆豆腐が並ぶ。蒼が米を炊いて、ワインとシャルキュトリが半分なくなるころには私はほろ酔いになっていた。
「あんたはまだ気づいてないだろうけど」
蒼はワインを自分のグラスに注ぎながら言う。全く顔色が変わっていない。アルコールには強いみたい。
「あんたも俺も、今日はもう運転できないからな?」
ええ。運転でき……
はっ、と私はほろ酔いのふわふわした気分から素に戻る。
そうだ。車! 乗って帰れない……
蒼は満足げに笑む。
「そんなにチョロくて、よくその年になるまで無事に生きてこられたな」
目の前においしそうなおつまみとよく冷えたロゼワインが出てきたら……かわいい愛車(今日からだけど)のことなんて、思い浮かべるはずもないし。
「わかってて……わざと飲ませたでしょ」
「帰っても誰もいないのに、帰る必要なくない? 明日一緒に行けばいいよ」
――腹黒。
一体、何手先まで想定しているんだろう?
私はあきらめて、自分のグラスのワインをぐいとあおった。
「ねえ。子供のころは、誰が料理作ってたの?」
ふと、疑問に思ったことを訊いてみる。すると蒼はちょっと肩をすくめて淡々と言う。
「そうだな。母親が家を出る前は、出前とか外食とかスーパーやデパ地下の総菜かな。それと家事代行サービスの人とか? 母親が出て行ったあとはまあ似たようなもんだけど、たまにオヤジのトモダチっていう女たちがかわるがわる来て、こじゃれた料理を作ってくれた」
「トモダチ?」
「うん。オヤジの女たちだな。別居中の子持ちでも、けっこうモテてたんだよ。オヤジのトモダチが来るといつもアニキは超不機嫌になった。12歳くらいってもう、『トモダチ』の意味が分かってたんだな。俺は幼過ぎて、トモダチは友達だろうってしか思わなかったけど。まぁ、たいていは一度か二度来たら、もう来なくなった」
――まさに、私が考えていたこと! トモダチ、ご飯を作るけど、カノジョじゃない存在。
まさか、蒼もお父さんと同じように考えてるとか?!
「……」
私が無言なのを別の意味に取ったのか、蒼は話を続ける。
「オヤジに気に入られたくてその人たちが作るメシはこじゃれてるんだけど、子供向きじゃなかったんだ。そのうち、アニキが家庭科で習った野菜炒めとかカレーとか作ってくれた。でも中学入ると塾通いと部活で忙しくて、結局はコンビニのおにぎりとかになった」
うん、なんか。
胸が、つまる。
「だから、同じように母親不在の家庭でも、暉がうらやましかったな。妹がいるって言ってたから。まあだからって、姉か妹がいても飯を作ってくれるとは限らないけどな」
「私は……こじゃれメシなんて、作れなかったよ」
「そういうんじゃなくてさ。子供のための日常メシみたいなやつ」
私ははは、と力なく苦笑する。
「なんか、お互い母親にはトラウマがありそうだね。知ってるかもしれないけど……うちの両親は学生結婚で、母親はまだ自分のやりたいことがあるからって、家を出て行ったの」
「うん、聞いたことある。ウチはオヤジが惚れこんで追い回して、アニキができて母親が渋々結婚に同意したらしい。チャラい弁護士とお堅い判事ってなんか笑えるだろ。判事は転勤が多いし、仕事のプレッシャーも大きいし、母親自身あんまり子供が好きじゃなかったし。でもそれがウチの普通だったから、特別何も思わないけどな」
「でも……ほら、付き合ってた子がご飯を作ってくれたりはしたでしょ?」
「しないしない。俺たちが小さい頃はオヤジの女たちはよく来たけど、アニキも俺も、ここに女を連れてきたことはない。それに、気楽な関係だと外でメシは一緒に食うかもしれないけど、それさえも面倒くさい」
鬼畜。
腹黒なうえに、鬼畜。
「気楽な関係以外は?」
「どんな?」
「いや、ほら、たとえばこの前モールで遇った、美人検事さんとか」
「あれも気楽な関係」
「相手がそう思ってなかったから……」
いまだに、未練がありそうな感じだったし、結婚式にも招待してきたんじゃないの?
「とにかく、ことごとくちゃんと伝えてた。俺は気楽な関係しか望まないって」
ええ?
私には?
私にはちゃんと、伝えた? 酔っぱらっていて、聞き流した?!
まさか……伝える価値もないと思ってる?!
もやっと、再発にして膨大!
✦・✦ What’s your choice? ✦・✦
「気楽な関係」?
A 朔のように一人堂々巡りする
B じゃあ、私たちは? と訊く
C 私は違うわ、と思う
D 確かめようと色々試みる
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