LOVE, HATE + LUST

12-4





翔ちゃんの話によると、千夏はある日偶然に、いきつけの焼き鳥屋で内山さんとばったり出くわしたらしい。

顔見知りで車内では挨拶する程度。お互いにひとり飲みでカウンター席で隣り合わせたことで話し始めたら意気投合し、それから焼き鳥デートを何度も重ね、千夏からプロポーズしたという。

「最近の内山さんはさ、めっきり若返っておしゃれになったよ。若い女ができると擦り切れた中年も変わるよね」

「はは。本人たちが幸せならいいんじゃないかな。専務のお見合いはどうだった?」

「ああ、この前の土曜日のね。今回の相手は旧財閥系スーパーお嬢様で今年大学を卒業したての22歳、趣味はバレエ。いつものごとく、専務はあまり興味なさそうだけど、雪乃様はノリノリだよ。親友の妹さんなんだって」

「それは今度こそ、逃げられなそうね。翔ちゃんは写真とか見たの?」

「実物見たよ。今週2回くらい会社まで専務に会いに来たんだ。小柄でめちゃかわいかったよ。まあ気は強そうだけど、強いほうが専務を転がせていいと思う」

「つまり合格なんだね。うまくいくといいね」

「来週、専務とデートでしょ? いいの? ほかの男とデートしても」

「デートじゃないよ」

「そう思ってるのは、きみだけね。ねぇ、僕も一緒に働いていて専務には情が移ってきてるんだ。だからそろそろちゃんときっぱりと、ちゃんと振ってあげてほしいな」

「そんな。何か言われたわけでもないのに。でも……そうだよね、もう上司と部下じゃないから、一緒に出掛けるのって、変だよね」



そうだ。


でもそれをはっきりさせるためにも、確認の時間が必要だと思う。

お見合いがうまくいったのなら、確かめなくてもいいかもしれないし。


翔ちゃんはお昼前に帰って行った。

お昼ご飯は母屋に戻って作る。簡単なサラダ、ご飯とトンテキのワンプレートランチ。そして蒼に電話。

1コール半で出た。

「お昼ごはん、母屋のキッチンに来て」

なんか言いかけてたけどぷちっと切る。もう怒りは収まってきているけど、まだムカついてる感を見せておくことは大事だ。


2分もしないで蒼が来る。

テーブルについて待っていた私はにっこりと作り笑いを浮かべる。幼稚園生でもそれが作り笑いとわかるレベル。

蒼は極浅くかすかにため息をつく。ここで気を緩めてはいけない。

「めしあがれ?」

作り笑いのまま首をかしげる。

「いただきます」と言った蒼はそろそろと食べ始める。でもすぐに何も気にせずにご飯に集中し始めた。


私は蒼が食べているのを見るのが好きだ。私が作ったものを、何でもおいしそうに食べてくれる。もちろん、暉も大げさなくらいほめながら食べてくれるけど、それとはまったく違うの。受け取る側(わたし)の、気持ちが違うのね。

腹が立って口もききたくないのを忘れて微笑みそうになる。

でも我慢。顔を緩めてはいけない。

「今夜は、あかねの店に行こう」

蒼が言う。

「いいけど……」

どうやら、嵐が過ぎ去るのを静かに待つことにしたみたい。もう「なんで」と訊いてくることはない。



うん?

私って……



そういえば、誰かに怒りをぶつけたことってないかも。

駿也とはけんかもしたことなかった。

するとすれば、兄妹げんかくらいだったのに……

怒っても、あとで無条件に許し合える。

いつのまにか私、それくらい蒼に気を許してるみたい。



言葉少なにランチを終えて、後片付けは私がするからいいよと伝えたので、蒼は屋根部屋におとなしく戻る。洗い物をする私にまた何か言いかけて、やっぱり何も言わすにキッチンを出て行った。どうしてわからないかな? すごく基本的で簡単なことなのに。

それとも、翔ちゃんお言うとおり、基本的なことはわからないのかな?


午後は主に母屋の掃除をした。床を磨くと無心でいられるのでいい。屋根部屋に上がると蒼は窓辺の自分のデスクで仕事に集中していた。そっとコーヒーを置いて、私は自分のデスクでメールや予約や売り上げのチェックをする。

午後5時半、私たちは蒼の車であかねさんのお店に向かう。


「いらっしゃぁぁぁい!」

女の勘なのか、もとCAとしての気配りと状況判断力のなせる業なのか。

私たちを見るや否や、彼女は不穏な空気を察知したようだ。

「あーらら……」

歌でも歌うように、小さな声で彼女はそう呟くと私の手を取って奥の壁際の席へ案内した。途中、厨房からトニさんがとびきりの笑顔を向けてくる。

3日前の昼にも来たばかりだけど……多分この夫婦の明るさに助けられたくて、蒼はここに来ようと言ったのかもしれない。


「——ちょっと、仕事の電話。車に行ってくる」

料理が来る前に、蒼は席を外した。私の隣に座ったあかねさんが、呆れ顔で背中を見送る。

「日曜の夜に仕事の電話って、なんなのよね?」

私は苦笑する。

「今週は仕事始めの週で忙しいはずだったのに、あの件とかあってずっと一緒にいてくれたから、大変なんじゃないかな」

「ふーん。それで、なんで朔ちゃんはあいつに怒ってるの?」

「それは……」

私は蒼と暉のことについてあかねさんに話した。そして蒼の言ったことも。

「はぁ。あいつら、ほんっと呆れるわ。何発か殴ってやった?」

「いや、殴ってはないけど……」

「蒼は昔、あんまり感情を出さない子だったの。いつでもどこでも超然として、大人びていて、憎たらしいほどになんでも器用にこなす。愛想がないのにそれがかえって女子を惹きつけて、えらいモテてた。来るもの拒まず、去る者追わずでね。どんな美人な子が自信満々で近づいても、多くを望まれると面倒になって何の未練もなくぽいっと冷たく捨てちゃうのよ」

「絶対にかかわったらこっちが不幸になるタイプね」

「はは。性格もひん曲がってるしね。でもあの見てくれで、女子たちは彼を追い回しちゃうの」

「腹黒なのにね」

「そうそう。言うこともキツいしね。まぁ、本当のことしか言わないけど。大人になって暉と偶然再会して一緒に旅するようになっていろんな話をして、蒼のこともよく聞いたわ。暉がどんないい子を紹介しても、絶対に真剣に付き合わないんだって。気楽な関係だけでいいって。だからあのトシになるまでひとりの女と2,3か月以上続いたことはないし、まして旅行やお泊りもしないんだって。基本、相手に無関心。非難されると勝手に寄って来てるんだろって冷たく言って終わり。マジ鬼畜だと思った」

あはは、とあかねさんは笑って続ける。

「だから驚いたんだ。2週間前ここにあなたと一緒に来た時も、それから3日前も。蒼のあなたを見る目。暉の妹だから、とかじゃない。朔ちゃんのことがすごく大切なんだなって、思ったの。だからトニもさ、」

あかねさんはくすくすと笑って小声で言った。

「彼はもう片方の翼を手に入れたんだね、って言ったの」

「もう片方の翼?」

「うん。イタリアの作家の書いた小説で、『人は片方の翼しかない天使だ、もう片方と抱き合うことでしか、飛ぶことができない』っていう一説があって有名なんだけど。ふたりでやっと一人前に飛べる。あの冷血人間が、あなたの前では借りてきたにゃんこみたいにかわいく見えるわ」

ドアが開いて、蒼が戻ってくる。あかねさんは声を潜めて早口で付け加えた。

「だからね、しっかり教育してあげてね!」



そしてあかねさんはホールを見回りに行ってしまった。






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