LOVE, HATE + LUST
12-5
家に戻ったのは午後8時を少し過ぎたころ。
「朔。ちょっと」
蒼は私を居間のL字型の濡縁に呼んだ。
雨戸を立てずに開け放った濡縁には、ソファのクッションが2つ、小ぶりのワイングラスが2脚と、暉のステンレスのワインクーラー。
6月にしては珍しいくらいの明るい十日夜の月明かりが、中庭のアジサイを青く白く照らしている。
なんてきれいな、月夜に濡れたアジサイ。
促されるままにクッションの一つに座ると、もう一つに座った蒼がワインクーラーからワインを取り出して、コルクを抜いてグラスに注ぐ。
ふわりと、みずみずしく甘くフルーティな香りが広がる。
青白い月の光に渡されたグラスを掲げてみる。
「ロゼ?」
「いや、貴腐ワイン」
それじゃあ、黄金色かな? 月明かりだけでは、よくわからない。
「いつ買ってきたの?」
「買ってない。暉のソーテルヌを1本、拝借した」
「怒られるよ?」
「大丈夫。帰国したら例のストーカー騒ぎで混乱して、これどころじゃないはずだから」
蒼がボトルを掲げて当然のように言うので、思わず笑ってしまう。
どうして。
どうして少し先のことを読むことができるくせに、暉のことは手に取るようにわかるくせに、私が怒っている理由はわからないんだろう?
蒼は私のグラスに自分のグラスの縁を軽くぶつける。
グラスに口をつけると、良く冷えた甘いワインが唇から舌を流れ、喉を通る。蜂蜜のような、花の香りのような……フルーティな香りが口の中に広がる。
「はぁ。おいしい……」
思わず本音が出てしまう。蒼はいたずらが成功した子供のようにくすりと笑う。
「飲め飲め、証拠隠滅、ボトルはすぐに廃棄だ。暉はこいつが消えてもあと半年は最低でも気づかないはずだ」
「腹黒」
私は苦笑した。
蒼はイチゴを長い指でつまんで私の目の前に差し出した。受け取ろうと手を出すとさっとよけられる。手を引っ込めるとまた目の前に差し出す。そのまま食べろってこと?
ふと、意地悪が思い浮かぶ。指かじってやったら、すこしは復讐になる?
イチゴをかじると見せかけて、角度を下に変えてあぐっと指をかじる。
はっ、と蒼は驚きを顔に出す。
「……わざとだろ」
ふふふ。
蒼の親指をかじったまま私は不敵な笑みを浮かべる。でもすぐに耳にふっと息を吹きかけられ、短い悲鳴を上げて首を引っ込めることになる。
ひゃっ、と声を上げたときに、イチゴを口に押し込められる。してやったりと笑む蒼が私にデコピンをくらわす。
「んー! んんー‼」
蒼はおなかを抱えて濡縁に笑い転げる。私は必死にイチゴを咀嚼して、笑い転げる蒼の腕をばしばしと叩く。
でもすぐに、私の手は蒼につかまってもう彼を叩けない。
「朔、朔、落ち着け。ほら、飲めよ。日本じゃ入手不可能なシャトーのワインだぞ」
「そんなの飲んだら、絶対気づかれるでしょ!」
「大丈夫だって。もう開けちゃったし。飲むしかないだろ、あんたも共犯な?」
……私の考えが、あさはかだったんでしょ?
まあ、飲め。うまいだろ? と勧められ、甘くて口当たりが良くて注がれるがままに堪能していたら、いつのまにやら酔っぱらって誘導尋問に面白いように引っかかって、私はなぜ怒っていたのかを軽々しくしゃべってしまったらしい。
「らしい」……そう、不覚にも、酔いすぎると口が軽くなって記憶があいまいになるのだ。私のこの習性を覚えていた蒼は、怒っている理由を聞き出すためにこの手に出たのだ。本当に、腹黒い!
翌朝、頭の内側から金槌でガンガン殴られているようなひどい頭痛で目覚めると、蒼はすでに出勤していた。ベッドサイドテーブルにメモが置いてあって、空港で暉を拾ってそのまま一緒に仕事をして夕方戻ると書かれていた。
それと……
ちゃんと、話し合おう、とも。
……話し合おうも、何も。
しょせん何をしても何もしなくても、私も暉のように蒼のてのひらの上で転がされているだけだ。
暉は案の定、私がストーカーに襲われそうになった話を蒼から聞いて、空港からの車中でパニックになって大変だったらしい。蒼と一緒に警察やら事務所やらを巡り、午後3時ごろになってようやく帰宅した時には、日に焼けた顔を真っ青にして涙ぐんでいた。
蒼はプロボノを頼まれていた先輩に事務所を出るときにつかまってしまい、そのまま先輩の事務所に連れて行かれてしまったらしい。所長であるお父さんから任されている案件の処理もあり、今日は、というか当分は時間がないので自分の家に帰ると連絡があった。
なぜ怒っていたのかを不覚にも知られてしまった後なので、ちょっと安堵する。
水曜日、ストーカー事件から1週間が経った。
「暉、夕方出かけるね。夕飯はカレー作っておいたから」
お昼の休憩の時にキッチンでそう告げると、暉は首をかしげた。
「え? どこ行くの? 遅くなる? 誰とでかけるの?」
「専務と約束があったんだ。どこに行くのかは知らないけど、そんなに遅くならないで帰るよ」
「専務? 蒼じゃなくて?」
私はイラっとする。
「なんで、蒼だと思うの?」
「えー? だってあいつ……朔に惚れたって……」
「は? そんなこと、私は聞いてないし。知らない」
ふん、と横を向く。
「えっ? なに、でも、俺はそう聞いたよ?」
「だからっ! 私は、聞いてません! それじゃ、5時ごろ出るからね!」
呆然とする暉を置き去りにして、私はキッチンを出る。
それから2時間ほど雑務をこなし、出かける準備のために早めに仕事を終える。
動きやすい恰好で、と専務は言っていたけど……
一体どこに行くのかな?
そこが私と専務が初めて会った場所らしいのだけど……
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