LOVE, HATE + LUST
13-2
小さなころから、おとぎ話にはあまり共感できなかった。
王子様と結婚できるのは、どこかの国のお姫様や公女様。貴賤婚はどちらか一方が譲歩しないと成り立たない。愛のあるうちはそれでも十分幸せだろう。困難に打ち勝つ愛に酔いしれることができるから。
でも、愛が冷めたらどうなるの?
相手のために自分の何かを諦めるとしたら、いつか自分にそうさせた相手を恨むかもしれない。愛だったものが無関心を通り越して憎しみになれば、おとぎ話は崩壊してしまう。
だからそうならないためにも、王子様とは初めから結ばれないと思っておくのがいい。
愛だけでは、幸せになれない。
幼いながらにそんなことを思ったのは、私たちを捨てて出て行った母親の影響かもしれない。
バーベキューのあとは勤務最終日の夜みたいにいろいろな思い出話をして、家まで送ってもらった。
途中雨が降ってきて、それは帰りつくまでさらさらと降り続いた。出たときと同じ、カフェ側の門の前で降ろしてもらう。きっと専務は、そこがうちの入口だと思っているのかもしれない。
「ありがとうございました。お気をつけてお戻りください」
ドアを開けて、私はお辞儀する。
「こちらこそありがとう。それでは、また」
「はい、また」
また、いつかはわからないけど。
私と専務は微笑みあう。
遠ざかるテールランプが見えなくなるまで見送る。
――さようなら。お幸せに。
カフェが閉店している間は、門が閉じられている。私は脇戸のカギを開けてそこをくぐり、再び施錠して庭を横切り母屋に向かう。
太陽光蓄光ライトが、暗い庭の小道をぼんやりと照らし出している。
「朔」
はっ、と顔を上げる。
飛び石10個くらい先に、黒のTシャツにジーンズ、白いスニーカーの蒼が佇んでいる。
「ん?」
私は首をかしげる。
蒼は飛び石1個のところまで歩いてくる。
「傘させよ。風邪ひくぞ」
私はふっと笑みを漏らす。
「自分こそ、傘さしなよ」
「遅かったな。もう10時過ぎだ」
「そうかな? ちょっと、牧場まで行ってたから」
「は? 牧場? 何のために」
「ひみつ」
「うざっ!」
蒼がムッとする。私は笑みを飲み込み、飛び石ひとつぶん前に出て蒼を見上げる。
「なんで庭にいるの?」
「ひみつ」
「ウザいよ!」
私の口調をまねした蒼の腕を叩く。
「やられたらわかると思うけど、ウザいだろう?」
蒼はどや顔でふんと鼻で笑う。
「あ、そうだ。防犯カメラの白いワンピースの女の謎は解けたよ。あれは……専務のお見合い相手だった。今日、人相合わせしてわかった」
ふうん、と小さく呟き、蒼は両手でそっと私の頬に触れる。
「なによ」
「濡れてるよ。冷たいし」
「蒼だって。どうして傘さしてないの」
「……朔。ちゃんと命令3は守ったのか?」
『命令3。あの男に惚れるなよ』
私は苦笑する。
「なんで今それなのよ……」
「もう元上司と出かけるなよ?」
「なにそれ、やきもち?」
「そうだよ」
「えっ?」
皮肉だったのに。すんなり肯定?
「また私をからかって、反応を見て笑う気でしょ」
「そんな余裕はない」
「はい?」
「命令4」
「えっ、じゃんけんで負けて、言うこと聞くのは三つまでだったじゃない!」
「ペナルティがふたつある。命令ひとつぶんに換算される」
「なんなのその、俺様ルールは?」
「これからもペナルティが増えて、言うこと聞く回数も比例していくからな?」
「そんな、とってつけたようなあと出しじゃんけん的な……」
あまりの横暴さに、思わず苦笑してしまう。
蒼は目を閉じてふう、と大きく息を吐く。それから、目を開いて私の目を見る。
久しぶりに目が合った。ああ、日曜日の夜、庭のアジサイを一緒に見たときに、相当酔っぱらって寝落ちする寸前にも見たような気がする。いつも余裕で私をからかってばかりの蒼の、何かに追い詰められてどうしようもなくなった時のような表情。
「あんたの男は、一生俺だけにすること」
さらさらと小雨が降る夜。温かいのは、蒼の両手が触れている両頬だけ。
「……」
私はきっと、すごく間抜けな顔をしていると思う。
目は真ん丸だし、口もぽかんと開いているし。
「俺の女も、一生あんただけにする」
真っ白になった頭の中に、月曜の朝の蒼の書置きの一言が浮かんでくる。
『ちゃんと、話し合おう』
これは、蒼なりの酔った私に白状させたことへの答え?
「あんたが元上司と出かけたって暉から聞いて、正直、気が気じゃなかった。このまま朝まで帰ってこなかったらと思うと、何も手に着かなくて」
はっ、と私は息をのむ。
「まさか、それで私の帰りを持って、庭をうろついてたの? 何時に帰るのかメッセージ送ってくればよかったのに。風邪ひいたらどうするの?」
蒼は私の両頬をぐいっと寄せて、私を変顔にしてすねた子供のように口をへの字に曲げた。
「それで明日まで既読にならなかったら、シャレにならないだろう?」
なんなの、そのちっぽけなプライドは。
私は蒼の両手首に手をかけて変顔を阻止しながら笑ってしまう。
「ばかじゃないの? そんなこと、あるわけないでしょ。半年前にも酔っぱらった時に話したよね? 私は王子様のただの侍従だったの。侍従をやめたからって、お姫様にはならないしね」
「そう思ってるのは、あんただけ。だからきっとあの男のお見合い相手も、あんたのこと脅威に感じて偵察に来たんだよ」
「私がそう思っていれば、それがすべてでしょ? どうしちゃったの? いつも余裕でひとをからかってばかりのくせに」
身を屈めた蒼がこつん、と自分の額を私の額に当てる。
「だからそんな余裕ないって言ってるだろ」
ああ、なんか、まいったな。
嬉しさで胸が詰まって呼吸困難で、死んじゃいそう。
心がぎゅうぎゅうに満たされてる。
「朔、命令4。わかったか⁈」
私はつかんでいた蒼の両手首から手を放し、代わりに両耳の付け根に指をかけて、下に引き寄せてバードキスをした。
ここが雨降る中庭ではなかったら、抱き着いてたくさんキスして押し倒していたかもしれない。
誰かをこんなにどうにかしたいと思うようになるなんて、自分でも訳が分からない。
「ん。わかった。わかったから……家に入ろ。風邪ひいちゃうよ」
私は蒼の手を引いて飛び石の上を歩き出す。蒼はおとなしくついてくる。
これって、話し合ったことになるかな?
『命令4。あんたの男は、一生俺だけにすること』
傲慢不遜な言い方だけど、他者に無関心な蒼にとっては、すごい進歩なのかもしれない。
『俺の女も、一生あんただけにする』
これって、私のもやっとがやっと解決したってことだよね?
『なにそれ、やきもち?』
『そうだよ』
やきもち。
私が専務と出かけて蒼がやきもちを焼いた。
私が帰るまできっと何度も家の前とカフェの前、両方の入り口を行ったり来たりしていたんだろうな……
ふふ。
私の男は、なんてかわいいの?
「蒼。じゃんけんで勝ってないけど、私から命令1があるよ」
玄関の軒先で立ち止まり、蒼と向かい合う。
「なに? 一応、聞いてやるよ」
さらり。雨に湿った私の髪をひと撫でして、蒼は首をかしげた。
「なんでも暉に言うの禁止」
蒼はふっと口元を緩める。
「わかった」
玄関の引き戸を開ける。
ん?
「……」
見慣れないものを目にして、私は首をかしげた。
「ああ、それね。そうなんだ、朔、ちょっと居間に行かないと」
蒼が苦笑する。
うん……?