LOVE, HATE + LUST
13-3
玄関で目にした、私が見慣れないもの。
黒い合皮に赤い紐の小柄なスニーカー。私より少し小さめ。まだ新し目で汚れていない感じ。誰のだろう?
「とりあえず濡れた服を着替えてから居間に行こう。暉がめちゃ困ってるはずだから」
蒼の言葉に従って、訳が分からないままに着替えて居間にから居間に行く。蒼は先に来ていたみたいで、すでにソファに座っていた。
「朔、ここ座って」
入り口から見ると背を向けて置いてあるほうの一人掛けがふたつ並んでいる一方には暉が座っている。私はこちら側向きのふたり掛けソファの蒼の隣に座る。
「あら?」
私は目を見開いた。
入り口からは見えなかったけれど、暉の隣、一人掛けのもう一方に、子供が座っている。しかも、外国人の男の子。アッシュゴールドがかった濃い茶色の髪、白い肌にラズベリー色の唇、薄茶色の大きな瞳。6歳か7歳か、それくらい? スポーツブランドの赤いTシャツにベージュのペインターパンツ。天使のようにかわいい男の子。
玄関の見慣れない靴は、彼のものなのだろう。
「かわいいお客さんがいたのね」
私は少年に微笑みかけた。彼の薄茶色の大きな瞳が一瞬大きくなって、それから流暢な日本語がソプラノで彼の口から飛び出した。
「こんばんは、おじゃましてます」
私は驚きを飲み込んだ。
「日本語がお上手! なに? 暉の知り合いの子?」
私は双子の兄を見た。今まで見たことのない、呆然とした、途方に暮れた表情で固まっている。手にはなにやら外国語で書かれた手紙らしきものを持っている。暉は私が話しかけてもピクリとも動かない。私は蒼を見る。
「知り合いって言うか……」
いつも何でも冷静に明確に話す蒼が、苦笑交じりに言いよどむ。私は眉をひそめる。私が牧場で専務とバーベキューをしている間に、一体何が起こったのか。
「あの、あなたは朔ちゃんですか?」
少年が言う。
「えっ? ええ、そうです」
私は小刻みに何度かうなずいた。少年の顔がぱっと明るくなる。彼はソファから立ち上がり、とことこと私の脇まで歩いてきて、かわいい手で私の手を取って言った。
「僕の名前は、リュシアンです。リュシアン・ラファエル・モロー。7歳、9月から小学2年生です。リュンと呼んでください」
「リュン君! かわいい! 9月から2年生、ということは、日本に住んでるわけじゃないの?」
「はい。僕はフランスに住んでいます。今は、夏休み」
「そうなの? 日本語お上手ね」
「はい。近所に日本人の友達が住んでいます。彼のお母さんに教えてもらいます」
「すごいねぇ。あれ? リュン君……?」
私はリュン君のビスクドールのようなつるんときれいな顔をじっと見て首をかしげた。この子は、混血かしら? どこか懐かしい感じ。
そして……かわいらしい口元の、右の口角の横にあるホクロ。食いしん坊のホクロ。私は、同じ場所に同じようなほくろがある人を良く知っている。
はっ。
驚愕で息をのむ。
――似ている。
ひとつ気づけば、もういろいろなところが似ている。
ぎゅっ。
私はリュン君の手を握ったまま暉を見た。
「暉……もしや」
びく、と紙を持った手が動く。そして私の双子の兄はそろそろと顔を上げて私を見た。いつもの陽気さは見られない、不安に満ちた瞳。暉はこくりと頷いた。
「間違いなく、俺の息子だね……」
はは。乾いた笑い。蒼を振り返ると彼も無言でうなずいた。私はもう一度小さな天使を見る。
「そうです。僕は朔ちゃんの甥です。よろしくね」
――びっくり。
20歳の夏、暉は大学を休学して1年間ワーキングホリデーでフランスを中心にヨーロッパを放浪していた。
サン=トロペのカフェで働いているとき、彼はアルル出身のシェフと恋に落ちた。彼女は27歳、普段はパリのカフェで働いていて、サン=トロペにはヴァカンスで友人たちと訪れていた。最初はカフェの店員とその客として顔見知りになり、そのうち親しくなっていろいろと話すようになった。
ハタチの日本の学生は子ども扱いされて軽くあしらわれていたのに、いつのまにやらいろいろあってふたりは深い仲になり、ひと夏、情熱的に愛し合った、らしい。
9月になり彼女がパリに戻ると、暉も追いかけた。さらに2か月を共に過ごし、秋の終わりに暉はほかの地方を回ることにし、ふたりは離れることにした。なんの約束もしなかった。ただ、暉は行く先々で彼女に絵葉書を送ったりメッセージを送ったりしていた、らしい。
そして翌年の3月、パリを離れて南フランスのアルルに帰ったという彼女を、暉は訪ねた。その時に暉は驚愕する。
ゴッホが描いたカフェのすぐ近く、のべつのカフェ。再会した彼女のおなかは大きくせり出していた。
パニックになる21歳の小僧に対して、彼女はとても冷静だった。黙っていてごめんね。実は、ばれなければ永遠に黙っておこうと思った、と彼女は言った。
「あなたには何も求めない。私は夫はいらないし、欲しくもないし。ましてあなたを縛るつもりもないの。私は、子供が欲しかっただけ。あなたがこの子にかかわることは、決してないわ。でもいつか、この子が父親に会いたいと言ったら、会わせてあげるつもり、その時は会ってあげてね」
出産を機に、彼女は故郷に戻りそこでブックカフェを開いている。リュン君によると彼女のブックカフェには日本の漫画を多く置いているらしく、日本のサブカルチャー好きの常連さんで連日にぎわっているそうだ。
奇しくも、ブックカフェ。
彼女——クレール・モローさんは、リュン君に父親のことを隠さず話していたらしい。そして小学校に上がったリュン君が父親に会ってみたいと言った時、彼女は7歳の少年をたった一人で国際線に乗せ、右も左もわからない1万キロかなたの日本へ送り出したのだ。
「しかも、朔が出かけてすぐぐらいの頃に彼女から連絡が来たんだよ。息子が夏休みを日本で過ごしたいというので行かせた、今日の夕方には到着するはずだ、って。なんで到着寸前なんだよ。なんの準備もできなかったって。しかも、俺が海外だったらどうするつもりだったんだか」
そうぶつぶつ文句を言った暉に、リュン君はにっこり笑う。
「その時はマモン(ママ)のお友達の家にいきます。リュウタロのおばあちゃんの家もあります」
りゅうたろう君とは、アルルで近所に住んでいる日本人の子供のことらしい。
とりあえず子供には夜も遅いし長いフライトでお疲れだろうし、暉に一緒にお風呂に入って一緒に寝るように言い聞かせた。
そして私は蒼の腕を引っ張って部屋に連れて行き、彼を問いただした。