LOVE, HATE + LUST

13-5




海里君が気を使ったのだろう、るなちゃんは2階の誰もいない片隅の席でホットのミルクティを前にうつむいて座っていた。


そとは小雨。

彼女は制服姿。


「るなちゃん」

そっと声をかけると、彼女ははっと顔を上げて私を見た。普段も色白だけど、今日はちょっと青ざめて見える。初めて会った、公園で知らない男に絡まれていた時みたい。不安げな大きな瞳は泣いていたのだろうか、潤んでいる。

「朔おねえさん……」

うる、うるうるる。瞳はみるみる悲しみににじんで、ぽろりと涙を押し出した。私は驚いて向かい側に座り、周りには誰もいないけれどひそひそと声をひそめて話しかけた。

「どうしたの?」

るなちゃんは、今日の出来事をぼそぼそと話し始めた。


今朝、彼女は例のごとく(らしい)、母親と口論して家を出た。先週、ピアノとバレエと塾をさぼったことがばれたのだ。そのせいで家を出るのがぎりぎりになってしまい、女性専用車両に乗ることができずに一般車両に飛び乗った。そこでサラリーマンらしき30代くらいの痴漢に遭った。おしりを触られたけど、怖くて固まってしまい、声を上げることができなかった。するとどこからともなく手が伸びてきて痴漢の手首をがっしりと掴み、満員電車じゅうに「何やってんだお前!」という声が響き渡った。


助けてくれたのは、近くの共学校の制服を着た男子生徒だった。痴漢は逃げようと身をよじったけれど、男子生徒はがっちりと痴漢の手首を捕まえて次の駅で降ろしてしまった。るなちゃんも彼に促されて一緒に降りた。

男子生徒は駅員に痴漢を引き渡した。警察官が来て痴漢が引き渡されると、彼はるなちゃんに言った。

「どうしていつもみたいに女性専用車両に乗らなかったの?」

男子生徒は自分は新條歩(しんじょうあゆむ)という名前で明真(めいしん)高校の1年生だと名乗った。明真高校は、るなちゃんの通う清水(きよみ)学園の近くの公立高校だ。


なんか、少女漫画みたいな出会いね、とどきどきしながら聞いていると、さらに少女漫画的な流れが続いた。


同じ駅で乗り降りするから、新條君はるなちゃんのことを知っていた。いつもは女性専用車両の乗り込むのを見届けるのが、彼の朝のルーティーンだったらしい。ふたりは、友達になることにした。

遅刻で学校に行き先生に事情を話して教室に行くと、たまたま1時間目は自習だった。すぐにるなちゃんはクラスのボス女子とその家来たちに囲まれた。彼女たちは今朝の電車内での出来事を目撃していて、どうして新條君があんたを助けるのよ、とひどく責められた。


彼は部活には入っていないが、社会人のスケートボードのチームに所属している。スケボー大会では結構有名なスケボー少年で、オリンピック出場有力候補と言われているらしく、ファンも多いらしかった。

ただでさえクラスの気の強い女子たちとは仲良くできない内向的なるなちゃんは、朝から彼女たちに八つ当たりされるようになった。

耐えられず、昼休みに早退してきてしまったらしい。


うーん。わかる。

キラキラ女子には素敵な出会いなのだろうけど、地味地味女子には面倒なトラブルでしかない。


助けてくれたのが女子に人気のある同世代の男の子だったことが、今回の不幸の要因だ。これが私みたいな大人の女性とかあるいは大人の男性とかなら、嫉妬でいじめられることはなかったはずだ。しかもその新條君、るなちゃんに絶対に気がある。そしてほかの女子たちはそれを敏感に感じ取ってしまった。

「あの子がまた話しかけてきて、それを怖い子たちに見られたら、またいじめられるよね? でも助けてくれたあの子に、もう話しかけないでって言うのもひどいよね? それに、せっかく友達になろうって言ってくれたのに……」

――もしも私がるなちゃんと同年代だったら、ろくなアドバイスはできなかっただろう。でも私は彼女の2倍近くの年月を生きてきた大人。いくばくかの知恵は身についている。

「だったら、新條君にあらかじめお願いしておけばいいよ。キミと仲よくすると、キミのファンの子たちに誤解されて学校でいじめられるから、私を見ても知らんぷりしておいてって。それで、通学路じゃないところで会えばいいんじゃないかな?」

るなちゃんははっと目を見開く。

「——なるほど、です」

「テスト勉強とか一緒にするなら、ここに連れてきてもいいしね?」

るなちゃんは私の手を取って握りしめた。

「朔おねえさん、天才です!」

私はるなちゃんの手を握り返してからぽんぽんと叩いた。

「そうだ、気分転換にうちの新しいイケメンを紹介するわ!」

「えっ?」

「来て!」

驚くるなちゃんの手を引いて、1階に降りてゆく。


妙子さんのいるフードカウンターに行くと、暉とリュン君がスツールに座って妙子さんお手製のベイクドチーズケーキをおやつに食べている。

「リュン君です。かわいいでしょ?」

「わぁ、ほんとにかわいい!」

るなちゃんは感動で目を大きく見開く。

「おい、女子たち。4歳以上の男に『カワイイ』は誉め言葉じゃないよ」

暉が人差し指を立てて振りながら笑う。

「大丈夫、暉もかわいいから。リュン君、このおねえさんはるなちゃんていうの。仲よくしてね?」

「こんにちは、リュン君。ええと……?」

るなちゃんはリュン君に微笑みかけて私を見る。

「ああ、リュン君は暉の息子なの。私の、甥っ子ね」

「ええっ⁈」

るなちゃんは口元を覆う。

「こんにちは、るなちゃん、よろしくね」

にっこり笑ったリュン君に、るなちゃんは秒で撃沈した。

「とっ……尊すぎるっ……」

入り口のドアが開く。妙子さんがそちらを見て声を上げる。

「あら、(はる)ちゃん。早かったね」


私たちはいっせいにドアを見る。ちょっと髪が乱れて息も洗い父が、こちらを見る。というか、正確には暉の隣に座っているリュン君をロックオンして、目を大きく見開いた。

「ほらリュン、おじいちゃん(ペペ)が来たよ」

暉はいつも言っているみたいな何でもない調子で言う。

「わぁ、アキがおじいちゃんになったみたい! そっくりだね!」

リュン君も目を大きく見開く。

父は速足でフロアを横切り、ガラス戸を開けてフードカウンターにやってくる。そしてリュン君の前まで来ると半身を屈めて言った。

「やあ、リュン君。おじいちゃんだよ!」

「はは。娘と息子のことは見えてないみたいね。ついでに私のことも」

妙子さんが苦笑した。





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