LOVE, HATE + LUST
14-4
私はその平井先生をちらりと見た。
桐生さんからしたら、結構年上かもしれないけど……
中肉中背。いいスーツを着てこざっぱりした感じだけど、これといった特徴もなく……あえて言うなら、うす~いイケメン(だった?)みたいな。アラフォーかな。
「彼は私よりちょっと若いくらいで……30代後半だったでしょうか。昔はもうちょっとイケてたんですけど。奥さんに刺されて離婚してから、覇気がなくなってしまったんです」
ええ。
――え?
えええ⁈
それは、家庭内ホラー&サスペンスだった。
平井崇弁護士は国内トップクラスの国立大学の法学部と法科大学院を出た、デキる若手弁護士だった。
合コンで知り合った10歳年下の清楚系女子大生と交際3か月で電撃結婚。妻には専業主婦になってほしいと言って、卒業後の就職を辞めさせた。本人は仕事が乗りに乗って裁判では勝ち続け、それによって依頼もどんどん増えてどっぷり没頭していた。
新婚なのに家に帰れないのは日常茶飯事。結婚記念日も妻の誕生日も忘れて、人のためになればと正義感に燃えて働き続けていた。
3度目の結婚記念日。深夜に帰宅した平井弁護士は、フラフラのままシャワーを浴びて寝ることに。そして午前3時ごろ。なにか重いものにのしかかられた息苦しさと、信じられない激痛を腹部に感じてうめき声と共に目を覚ました。
寝室にはベッドサイドテーブルに光量の低いオレンジ色の照明がぼんやりとともっていた。
彼が最初に目にしたのは、何とも言えないすさまじい形相が半分ライトに照らされた、妖怪のような妻の顔。彼女は彼の体の上にまたがり、彼の腹部に小型の包丁を突き刺していた。
あんたと結婚して、私の人生はめちゃくちゃよ! と彼女は叫んだらしい。毎日、どうやって殺してやろうかずっと考えてたわ。もう限界。あんたなんて、死ねばいい! と泣きわめいたとか。
平井弁護士は自力で起き上がり、包丁が刺さったまま救急車を何とか手配した。妻は心神耗弱状態であったとして、平井弁護士が心神喪失を訴えたため罪にはならなかった。彼は明るくかわいらしかったおっとり者の妻を追い詰めてしまったことを反省し、静かに離婚に応じた。
今や彼は「ほどほどに」をモットーとして、地道に仕事をこなしているとか。紹介されたときに一言二言、言葉を交わしたけれど……ただ穏やかな感じの人だと思った。地獄を見て、そうなってしまったのね。30代後半なんて男性としては虎嘯風生、仕事が楽しくて仕方ない時期だろうに。
「楽しそうですね?」
蒼が自分と私のノンアルコールのモヒートを手に戻ってくる。
「ふふ。平井先生の家庭内ホラーについて、ちょっと」
友坂さんはその平井先生に呼ばれたので、私たちに挨拶をして離れていった。
「あの人たち、長年の付き合いだから今でも気の置けない同僚なんだな」
「友坂さんは、指輪してないけど……」
「あの人はシングルだよ。きれいな人だけど、男より仕事がいいらしい。多趣味だし」
「たとえば?」
「ちょっと聞いた話だと、モトクロスバイクとか、ボルダリングとか? 船舶免許も持ってるらしいよ」
「うわぁ、意外」
「仕事も早くて正確で丁寧なんだよ。平井先生には悪いことしたな。快く承諾してはくれたけど」
私は苦笑する。
「そんなに、嫌だったんだ? 前任者のこと」
「カフェで見ただろう? 見るからに自信満々で狡猾そうで実際そのとおり。ああいうのダメなんだ。しかも仕事に支障をきたされるのは我慢できない」
「蒼、『あたしと仕事とどっちが大事なの?』って訊いてくる女はキライでしょ?」
「そんなこと訊いてくる女が好きな奴がいるか? あ、もうひとりの厄介な奴が来た、自己チュー悪魔」
顎で蒼が指し示した入り口のほうに、一人の若い女性が入ってくるところが見えた。パステルイエローのレースのAラインワンピース。馬蹄型に小粒のダイアモンドが並んだ金チェーンのネックレス。12㎝のヒール部分がレパード柄の、クリーム色のハイヒール。私より背は低い。リカちゃん人形みたいな華奢なひと。
遠西由紀奈、23歳。蒼のお父さんの事務所の事務員の一人。事務員だけど、所長の友人の娘でコネ就職。パラリーガルの桐生さんとは水と油、犬と猿の間柄らしい。若いので怖いもの知らず、わがまま放題でなんでも思い通りにしないと気が済まない。法律事務所には品格が合わないが、父親たちの前ではおとなしいため、彼女の悪事はばれていないという。
以前、婚約者がいた若い弁護士にちょっかいを出して破局させ、飽きたからと捨てて絶望させて退職に追い込んだという。こわい。でも……
「もしかして、私がストーカーに襲われて蒼に電話した時、警察に電話してくれたのは彼女?」
「残念ながら、別の事務員だったよ」
あ、そう。それなら、うん、やっぱりこわい。
しかも。
彼女、入ってきてすぐに気が付いたらしく、こちらに向かって真っすぐに歩いてくる。キラリ。意地悪そうに大きな目が輝く。
「こんにちは」
すごい。「こんにちは」がすごく高慢なトーン。
「遠西さん。今日はどうやって、潜り込んだのかな?」
ふん、と鼻で笑いながら蒼が言う、その言い方にもトゲがある。その態度で彼女も棘を最大限に出してくる。トゲトゲ合戦、勃発。
「なんですかぁ、それ。ちゃんと高橋先生のパートナーとして正式に参加してますから。あら? そちらが例のかたですかぁ?」
こてん。彼女は首をかしげて私を見る。さらに大きく、目を見開いて。マツエク、めっちゃ長い。涙袋メイク、すごい。本当に、人形みたい。
「例のかた」って……
ああ。デジャヴ。
つい先日も、専務のお見合い相手にされたのと類似のスキャンを受ける。彼女は一通り私をスキャンし終えると、赤いマットな唇を小さくすぼめる。
「ふぅん。もっとすっごい美人かと思ったけどぉ……普通ぅ」
うわぁ。
「遠西さんのユニークな価値基準で見られてもな。それよりも早くパートナーのところに挨拶に行けばいいと思うよ」
なにこの毒舌対決。ホントに彼女、蒼のこと好きなの?
彼女は横目で私を一瞥して、鼻先でふん、と笑う。勝った、とでも思っているのでしょう。もしも私が彼女と同じかもう少し若ければ、傷ついたかもしれない。でも、30近くにもなるとそんな幼稚な挑発では動揺しないのだ。むしろかわいいと思う。
「さっきメッセしたからもういいんですぅぅ。誘ってくれないんだったらユキナのことはほっといてクダサイっ!」
つんつんしながら、彼女は同じ事務所の人たちのいるほうとは、まったく違うほうに行ってしまう。
「蒼、高橋先生って……」
私は蒼を見上げる。
「うん、マウンティング野郎。今日のホストの弟」
蒼は顎でソファのほうを示す。ひとり掛けの黒い革張りのソファに座って白いスーツの女性と向かい合って話している男性。やせ形でグレイのスーツ、前髪がツンツンに立ち上がっている。ちょっと神経質そうに口の端をつり上げて顔をのけぞらせ、横柄そうに話している。
「あ」
私は思わず声を漏らす。向かい側に座った女性がそそくさと席を立ち、どこかに去ってしまう。
蒼は私の手を引いて、ソファへ向かった。