LOVE, HATE + LUST
15-2
”media naranja”
直訳すると、「半分のオレンジ」。
スペイン語で「キミの半分のオレンジはもう見つけたのか?」は、英語にすると、
”Have you found your better half?”
「キミの運命の相手は、もう見つかったのか?」となる。
オレンジのひとつひとつは半分に切るともちろん、もとのひとつの片割れとしか完璧には合わない。これは自分にぴったりの伴侶は、この世の中にはたったひとりしかいないという意味。
「スペインではなぜかオレンジだけど、もとネタはギリシアになるんだよ。プラトンの作品の中で、5人の教養人に宴会で愛について語らせてる。この場合の愛とは、欲望とか情熱とか、そっちのほうな。プラトンはアリストファネスという喜劇詩人に、こういう話を演説させる」
原始、人間はふたりでひとつの体だった。男と男、女と女、男と女の3種類の組み合わせだった。男男は太陽から、女女は地球から、男女は月から生まれた。それぞれ頭がふたつ、手足が4本。ふたりが合わさる様は、球体。
この「ニコイチ」人間たちのことを、全能の神ゼウスは生意気で傲慢だと思い、稲妻で彼らをすべて半分ずつに引きちぎって分離させてしまった。
だから半分の不完全体になった人間は、自分の半分を探し求めなければならなくなった。
さっき……
エルはわざと英語でも”your half orange"って言ってた。
「でも球体って、無理があるよな。完全体はこうやって向かい合っていて、手足と頭が後ろを向いていた? とか。 移動するためには側転してたらしい。ホラーだよな?」
ぎゅう、とハグされると幸せ過ぎてそのまま溶けてなくなるんじゃないかと思う。その代わりに、私たちが球体ニコイチ人間になったのを想像してくすっと笑いが漏れた。
「うん、かなりホラーだよね」
「笑えるだろ?」
「うん。ねえ、蒼」
「なに?」
「あなたの半分のオレンジは、私だと思うの?」
「うん、俺があんたのハーフオレンジだって、半年前に確信したから」
ぴたりと耳をつけると、蒼の鼓動が鼓膜の中に届いてくる。そしてそれは私の鼓動とシンクロする。
私もぎゅうと蒼を抱きしめる。
なんでだろう、半年前よりももっともっと前から、私たちは知り合いだったような気がしてならない。
カウチの上で夕日でオレンジ色に染まる私たちは、完璧なひとつのオレンジ。
蒼のことが愛しすぎて……すごく、満たされている。
初夏の青い夜が降りてきた。
遠くの空にぽっかりと浮かんでいる下弦の月。真っ黒な森の上、半分だけの月光に負けじと瞬く星たちは、グリッターのように輝いている。
大きな窓からはまるで星が降ってくるみたい。
キャンドルライトのディナーを済ませるとテーブルがきれいに片付けられて、給仕係たちが去ってゆく。
そのまま明かりをつけずに吹き抜けの天井にリモコンを向けて押せば、屋根の半分がガラスの天井になる。
「朔、おいで」
蒼が私の手を引っ張って浴室へ向かう。なにやらごそごそやっていたなと思ったら……窓辺にはキャンドルが数本灯されていて、ジャグジーには赤い(暗いけど、だろう)花びらが浮かべられ、ステンレスのワインクーラーとグラスがふたつ、銀のトレイにのせて置かれている。
「ここで星を見るぞ!」
「えっ、ちょっとっ、待っ……!」
背中のファスナーがおろされる。驚いて逃げようとすると、ウエストを捕まえられてどんどん身ぐるみはがされる。すべてを脱がされると、反転されて抱き寄せられた。
素肌に蒼の服が擦れて、びくりと指先が反射ではねる。
大きな手が背中を、逃げられないように支えている。
「いい子だから。無駄な抵抗は止めて、あそこ、入って」
蒼はジャグジーを顎で指し示す。
耳の中に低くささやかれたら、ジャグジーにたどり着く前に腰が砕けて歩けなくなるのに……絶対に、わざとやってる。
思わず蒼の腕にしがみつくと、首筋に笑みとキスが落ちてくる。
「せ、せめてタオル、ちょうだい」
「はいはい」
私を抱きかかえたまま数歩歩いて、蒼はハンガーからバスタオルを取って私の背に掛けた。私は急いでそれを体に巻いて、慌ててジャグジーのなかにしゃがみ込む。
わぁ……ぬるさ加減が絶妙、そしてブルガリアンローズの濃厚な香り。
手首に通していたヘアゴムで髪をくるくると適当なお団子にして留める。
私の脱いだ(脱がされた)服と自分の服を脱衣スペースに置き、蒼はジャグジーに入りワインをグラスに注いで渡してくれた。
「カリフォルニアのシャルドネ、エルがくれた」
クォン、と薄いガラスが触れ合う透明な音がする。乾杯。
さわやかなアロマが口の中に広がって鼻に抜けてゆく。
「はぁ、幸せ……」
無意識につぶやくと、蒼は隣でくすっと笑う。
「バリじゃないけどな」
ああ、もしかして……暉がバリに行った時に私がフラワーバスやアロママッサージを羨ましがってたから……
私は蒼の頬にキスをした。
「ありがと。あとでアロママッサージしてあげるね」
「いや、されるよりするほうが興味深いな」
「それ絶対、マッサージじゃないものになるよね⁈」
ぺしっと肩を叩くと、蒼は首をのけぞらせて笑った。
「それはあとでのお楽しみだな。ほら、上。見てみ。星だらけだ」
私は蒼の肩に頭を置いてガラスの天井を見上げた。街の明かりがないから、本当に星がよく見える。
「半月の上のほうに、北斗七星が見えるよな? ひしゃくの柄の部分から下に行くと明るい星がある、あれがうしかい座のアルクトゥールス」
「よく知ってるね」
「小学生の頃の愛読書は惑星図鑑と星座図鑑だった」
「それじゃあ、中高は天文部?」
「いや、何も入ってなかった。朔は?」
「小学校は図書係、中高は、私も何も。放課後は図書館に行ったり、スーパーに夕飯の材料買いに行ったり……ひとりで過ごすことが多かったよ」
「なぁ、もし、もしも、高校の時に出会ってたら、どうなってたかな?」
「さぁ。高校の頃の私はぼっちが好きな超暗い奴だったから、蒼が見たらなんだこいつ、って思ったんじゃない?」
私は夜空を見上げたままふっと笑う。自嘲ではない。素直な、仮定。
「——中学とか高校の頃、ぼんやりしたいときはたまに水族館に来てたって、言ってたけど。つらい時? 悲しい時? 疲れた時?」
「うーん。大抵は、つらい時や悲しい時。イルカを見てると、癒されたから。星空と水族館の水槽って、なんか似てるね。見てると自分の悩みがすごくちっぽけなものに思えて、ばからしくなってくる。あ、でもね……」
思い出し笑いでつい頬が緩む。私は目を閉じる。
「この前、久々に水族館に行って、あの右のムナビレが欠けたイルカにも再会して……蒼がたくさん楽しませてくれたから、幸せな思い出が上書きされたなぁ」
頭を預けていた蒼の肩が少し動いて、唇にキスが落ちてくる。優しいキス。下唇を甘噛みされる。
完全に離れると、蒼の唇が恋しくて私の唇はもう寂しくなる。
蒼の瞳が私の瞳をとらえるやいなや、私の思考回路は途端に機能不全に陥る。
蒼が再び私に口づける。
長いキスの合間に、私は至福の吐息を漏らす。
星々が私たちを見下ろしている。
何も考えられない。
何もいらない。
ただ。蒼だけがいればいい。
私には、蒼だけが。
私の、半分が。
✦・✦ What’s your choice? ✦・✦
あなたの半分は?
A いるのかな?
B ぜったいにいる!
C たぶん、いる
D いないと思う
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