LOVE, HATE + LUST
16-5
本当は、出席するつもりはまったくなかったんだ。
前に何度か関係があった女の結婚式。
一時帰国したのは免許の書き換えとオヤジの再婚のためだったけど、そういえば出欠の返信もしていなかったな。
「来ても来なくても、あなたの席は用意しておくわ。宿泊の予約も、会場のホテルでしておいてあげる」
彼女との関係を知らない先輩弁護士は、俺に出席を進めた。
「行っとけよ。先輩検事の結婚式だぞ? 人脈づくりの顔つなぎにはもってこいだ」
確かにそうだなと思い、招待を受けることにした。それがチェックインした結婚式の3日前のことだ。
2日目の夜、新婦になる予定の女が訪ねてきたけど、俺は会うことを拒否した。初めから気楽な関係以上にはならないと断ってあるし、ベテラン検事の妻になる女なんか考えただけでもトラブルの予感しかしない。
そして結婚式当日。
午後6時半から始まった式。適当に出席して適当に挨拶して、適当に途中で引き揚げてきた。
人脈づくり、とは言っても、仕事関係はほとんどが顔見知りだったな。やっぱり来なくてもよかったんだ。
つまらない。
まぁいいか。明日にはもう一度留学先に戻るが、その前に空港で、ちょうど明日帰国してくる暉とちょっと会うことになっている。
半年後に俺が帰国してからの「作戦」の戦略を練るためにあいつから情報収集できるから、今日がハズレでも我慢できる。
式場を出て上階のバーで一杯ひっかけたら部屋でゆっくりしようかと思ったのに、新婦側の友人だと言ってなんだか女がひとり、なれなれしくついてくる。
静かにひとりで飲みたいのに。
無視していると、勝手にひとりでしゃべりまくる。そのウザさにキレかけたときに、ふわりと、芳醇なアロマが空調に乗って漂ってくる。
どこから?
こんな高級ワイン、このバーのメニューにあったのか?
さりげなく周囲を見回す。すると同じ並び、夜景を見下ろすカウンター席の左手の端っこに、女がひとり。彼女の前には、ワインのボトルがおかれている。
あれか! あんな高いワインを、若い女ひとりで?
なんか、訳アリっぽいな。
照明が暗いから、若い? 若そうってことぐらいしか見えないけど。
それにしても、あのアロマ。ボトルの形からしてボルドーだと思う。もうちょっと明るくて近ければ、エチケット(ラベル)が見えるのにな。
ちょっとちゃんと聞いてるのかと、隣の女がウザい。あんたに付き合うつもりはないからもうひとりにしてくれと不快感をあらわにすると、女は怒って去って行った。
そして再び気になるほうに目をやると……まずい。ワインをガン見しているのに気づかれた。失礼、と謝って目をそらす。
彼女はおぼつかない手つきでボトルを持ち上げて、自分のグラスに注ごうとする。ああああああ、こぼれる。あんないいワインをこぼすなんて、ありえない。
あまりにも危なっかしくて、気づいたらワインを注いでやると申し出ていた。
どうしたんだ? 俺。自分から知らない女に声かけるだなんて?
すると彼女はよろしければ、とワインを分けてくれるという。俺はなりふり構わずグラスを取りにバーテンダーのところに向かった。
――彼女は単なるお裾分けだから、負担を感じずに自分の席に戻って堪能してくれていいというようなことを言った。落ち着いた、温和で優しげな声と雰囲気。あまり顔を見ないようにしていたけど、酔った彼女の話を聞いていると、なんだか落ち着かない気分になってきた。
そして、ふとある仮説が思い浮かぶ。
俺の隣に座り、ほろ酔いであやしげな呂律でゆっくりと喋る女。
彼女もしや、俺が13年もの間うじうじと忘れられていない女本人なんじゃないのか?
大人になって、薄い化粧はしてるけど……これは、朔じゃないか?!
故郷の街も、通った高校も、糸の切れた凧みたいな双子の兄も、俺にはすべてが思い当たる。
「あんた、山野井朔だろう⁈」と、訊きたい。
でも訊けるか?
俺が一方的に知っているだけなんだ。彼女は俺のことを知らない。ここで名前を問いただしたところで不審がられて、一気に警戒されるだけだろう。
落ち着け、俺。この焦りを、悟られてはいけない。
聞けば、彼女はプロポーズはされたが恋人と別れたばかりで、そのワインは上司が結婚報告の祝いにくれたものだという。確かその上司って、その会社の創設者一族の御曹司だったよな⁈
こんな高級なワインをくれるなんて、本人は何も気づいてないみたいだが、明らかに気があるだろ?!
それにしても……
彼女は、昔のナイーヴさが抜けたみたいだけど、基本的には変わってないんだな。
俺は、自分に言い聞かせた。
これは、チャンスだ。
30まで待つ必要があるか?
いや、別れたと言ってるんだ。計画を前倒ししたって、何も悪いことはない。いやむしろ彼女がフリーになったことで、これはチャンスなんだ。
今回はとりあえず彼女を無事に送り届けたら、連絡先を渡して別れればいい。
俺には暉という切り札がある。どうせ今は何もどうこうできない。俺は明日、留学先に戻らないといけないし。
半年後に帰国したら、偶然を装って再会して徐々に近づけばいい。
そう思ってたけど。
真逆の世界を教えろって、酔って潤んだ目で見つめてきたんだ。
それまで俺の目を見ようとはしなかったのに、そこで初めて俺をまっすぐに見上げた朔は、ちゃんと昔の面影があった。
どこか自信のなさそうな、不安そうな瞳。
俺の顔をとらえている両手がひやりと冷たくて、かすかに震えている。
朔。
もう外で知らない男と一緒の時に、無防備に酔っぱらうのはやめろよ。
そんな顔で庇護欲を煽られたら、また計画変更せざるを得なくなるじゃないか。
酒の席だからと適当なことを言ったから、俺のことをとんでもない遊び人だと勘違いしていることはわかっていた。
仕方ないな。気楽な関係しか持たなかったって話したし、さっきも訳の分からない女が一緒にいたし、そう思われないほうがむしろおかしいよな。
誰とも真剣に付き合わないのは事実だけど、だからって何人も同時に関係を持っているわけじゃない。
でも、もういっそのことそれを逆手にとってもいい。
俺は力の抜けた笑みを浮かべた。
それなら、俺のことを忘れられなくしてやる。
これから半年間、ほかの男のことなんて微塵も考えられないようにしてやる。
もしもあの日。
結婚式に出席せずに、あのホテルにも行かなかったら。
出席していたとしても、あのバーに行かなかったら。
朔が上司と、あのホテルのステーキ店に来て、帰りに思いつきであのバーに行かなかなかったのならば。
朔。
あんたはまた、この因果律に不思議だと言ってうっとりした表情をするんだろうな。
そう思って眠りについたのに。
ところが、俺の考えが甘かった。
朝、幸福感で目を覚ますと、朔の姿はなかった。
昨夜のことを、俺と寝たことを彼女はどう思っただろう?
少なくとも、半年間は俺のことを忘れられなくできたかな。
数時間前までとらえていた温かくてやわらかな朔の感触を思い浮かべて、シーツに溶け込むんじゃないかというくらいに深く息を吐く。
その時、エルの言葉が脳裏をよぎった。
『彼女がキミの半分だと確信したら、彼女を絶対に手に入れるべきだよ』
半分のオレンジ。
そうだ。
彼女は俺の半分だ。
もう絶対に、離さない。