LOVE, HATE + LUST
17-5
「ただ……蒼に、聞いてもらいたかっただけ……」
自分でも、呆然としてしまう。
ひねくれているわけでも何かの感情の現れでもなくて、生みの母のことに関しては本当にどうでもいいの。
きっと街中ですれ違ってもお互いに気づかないと思うし、もしも会ったとしても「るなちゃんのお母さん」としか思わないだろうから。
そういうことじゃなくて。
今、思っていることや感じていること。自分でも説明しきれない何かを、ただ蒼に聞いてほしかっただけ。
ただ、そうしたかっただけなの。
「朔」
蒼が手を伸ばして、私の手を取る。右てのひらの上にそっとのせて、まだ包帯の取れていない左手で包み込む。
「あんたは酔いに任せて、俺たちは一回きりの関係だと思ったかもしれないけど。あの時、俺が言ったよな?」
「なにを?」
「俺のことが、忘れられなくなるって。もうあんたは、俺なしじゃ生きていけないだろう?」
それは……
「否定できないかな……」
悔しそうな私のつぶやきを聞いて、蒼は破顔する。
プリプリの海の幸のサラダ、冷たい枝豆のポタージュ。
子羊の香草焼き、冷製トマトとバジルのカペリーニ。
デザートはレモンのソルベ。
ディナーの後はガラスのアーチの通路を通って別のグラスハウスへ。ジャングルを散歩する。
野生の小さなランの花々の陰に、白い石製のバードバス。水が張られたその縁に、本物そっくりの小鳥が2羽とまっている。1羽は鮮やかなメタリックグリーン、もう1羽はくすんだオレンジっぽい薄いグリーン。
「このグラスハウスの中にはいろいろな種類の鳥のリアル模型が置かれていて、植物園のアプリのカメラ機能で撮影すると名前が出てくるらしいよ。出口で何種類見つけたか申告すると、なんかもらえるらしい」
入り口でもらったチラシを読んで蒼が言う。そのチラシのQRコードを読み取ってアプリをダウンロードして挑戦してみることにする。
バードバスに止まっている小鳥たちの名前を探すと……
「ハチドリの仲間。地味なほうがメスだって」
アプリの情報によると、メスは地味な色をしているらしい。
「鳥って、オスとメスでは羽の色が違う種類がたくさんいるよね。大抵、メスのほうが地味で」
「メスは巣やヒナが捕食者に見つからないように地味なんだよ。メスはメスだってだけで存在意義があるしオスを選ぶだけだから、地味でもいいんだ」
「オスは羽の色が派手なほどメスからモテるよね?」
「美しい羽根を持つのは、健康で丈夫で優れた遺伝子を持つ証拠になるらしい。そういうオスはけんかも強いし。だからメスはハデなオスしか相手にしない」
「自然界って過酷だね。人間の世界はダメ男でも物好きに拾ってもらえることがあるけど」
「過酷なのはオスの世界だけだな。美しい羽根だけじゃダメなんだ。立派な巣をつくってメスにプレゼントする鳥や庭をきれいに飾り付けてメスの気を引く鳥もいるし、ベタにプレゼント攻撃とか歌攻撃とか、ダンスとかする鳥もいるね。それに、メスの個人的な好みに合わせた羽色に自分の羽の色を変えるあざとい鳥もいる」
「好かれる努力の数々が、人間とあまり変わらないかもね?」
「伴侶を手に入れるには涙ぐましい努力が必要なんだな。まぁ俺は、策略のほうが得意だけど」
蒼はくすりと笑んだ。
はいはい。その策略にまんまとはまるのは、私だよね。でも、もうそれでいいよ。
一度きりの関係だと思って、勇気を出して飛び込んで……情熱とか欲望とかを知ることができた。
それを思い出に一生を生きて行ってもいいと思ってたけれど。
どうやって逃げたとしても逃げ切れるものではなく、必ずまた出会う運命だった。
今、私はひとりの人を信頼して大切に思って、そういうことができる自分にちょっとずつ自信を持ち始めている。
ただなんとなく相手に会わせてうなずくだけではなくて、怒ったりすねたり、涙を見せることもある。
今までの私には、誰かにネガティブな面を見せるなんて、ありえなかったのに。
その相手が、蒼でよかった。
小さな月が地球に大きな影響を与えるように、私も蒼に多少の影響を与えていると思う。
私たちはお互いに影響を与え合っている。
小雨の降る夜の中庭で蒼が言ったこと。
『あんたの男は、一生俺だけにすること。俺の女も、一生あんただけにする』
蒼になら、自分の気持ちを伝えることが、少しも怖くないよ。
進行経路の終わりにアプリの合計数を見たら、54種類も見つけていた。負けず嫌いの蒼は展示されていた全種類をコンプしたのだ。あまりの熱中した様子に、私は見つけることよりも彼の表情を観察することのほうが楽しくなってしまっていた。
コンプリートの賞品は、手のひらに載るくらいの小鳥の形のガラス製のペーパーウェイトふたつ。
残暑は何事もなく穏やかに過ぎ去ってゆき、9月の終わり、やっと秋らしい透明な空気が感じられる頃になった。
私は久しぶりに親友の翔ちゃんとランチに行き、そのまま彼のパートナーであるケイ君の初舞台の初日公演を鑑賞した。ケイ君はますます時の人となり、今ではほとんど一緒に外を歩けないと翔ちゃんが文句を言っていたっけ。それでも忙しいスケジュールの合間を縫って、ふたりはうちのカフェにくつろぎに来てくれる。
翔ちゃんの情報によると、専務はまだ仕事漬けの毎日らしい。雪乃様のお見合いセッティングもその過密なスケジュールを無理無理にひっつめて組まれるらしいけど、いまだに専務が恋に落ちることはないそうで。まあ、焦ってはいないようなのでいいんじゃないかなと、翔ちゃんは言っていた。
10月は3回ほど、毎週土曜日の午後に奏君が音大の友人3人とともに、弦楽四重奏のミニコンサートをカフェの1階で開いてくれた。庭の落葉樹たちも黄色く色づいてきて、雰囲気もばっちり。常連さんたちはとても喜んでくれた。
海里君はヤマネコさんとは相変わらず進展しないとボヤいていたけれど、奏君のコンサートには彼女と手をつないで来たし、彼女が仕事で大学に戻ると言って席を立った時は外でお別れのキスしてたのを、みんながカフェから観察していたのに気づいていなかった。恋する青年の真剣な目を見て、なんか青春っていいねと私たちはほほえましく思ったっけ。
暉も一時帰国してきて、お父さん、妙子さん、翔ちゃん、ケイ君、るなちゃん、幼馴染の若菜ちゃん、海里君、奏君、そしてあかねさんとトニさん夫妻を招待して、日曜の休業日のカフェでちょっとしたパーティを開いた。
料理は妙子さんとトニさんがたくさん作ってくれた。暉の発案で全員ちょっと早めのハロウィーンのコスプレ。ついでにカフェもハロウィーンの飾りつけにしてみた。
今年のハロウィーンはアルルのクレールさんのカフェで日本のようなコスプレパーティを開いてリュン君を喜ばせるんだと、ショッピングモールでいろいろなハロウィーングッズを仕入れてきた暉は、ハロウィーンの1週間前に再び日本を発った。
スーパームーンが夜空を煌々と照らしている月明かりの夜。
私の部屋の広縁で、私と蒼は月見をしている。
私たちが偶然出会って1年が過ぎた。
もっと時が経っているような気がしたけど、まだ1年なんだ。
きっとこれからも私たち自身にとっても周りの親しい人たちにとっても、いろいろなことが起こるんだろうな。
そのたびごとに一緒に喜んだり驚いたり悲しんだりしていけるといいな。
ずっと、そうやって生きていけたらいいな。
【Fin】