殺すように、愛して。
 じくじくと体の疼きが酷くなる。俺の頭よりも先に、体がその正体を察知して反応しているかのようだった。ふー、ふー、と息を荒くさせる俺の鼓膜は、全身の神経は、迷いもなく、躊躇いもなく、階段を上ってくる足音を拾って、足音に向けられていた。しっかりとした足取り。明確な目的を持って、床を踏んでいる音。ふらふらおろおろしておらず、強盗犯が不法侵入する時みたいな忍び足でもなくて。気配を消そうとすらしていないそこには、恐怖も緊張も罪悪も感じられなかった。

 まだ誰だか分かっていないのに、いや、嘘だ。本当は分かっている。分かっているから、分かったから、重たい腰を上げ四つに這って自室の扉を目指し、自らその姿を目にしようとしているのだ。距離を詰めようとしているのだ。会おうとしているのだ。平然と他人の家に上がって、物も言わずに階段を上り、閉め切った扉の前で静かに足を止めた、黛に。

 扉の僅かな隙間から、アルファの、黛の匂いが漂ってくる。落ちる涎をそのままに、まゆずみ、と呟きながら這っていれば、ゆっくりと目の前の扉が開かれた。匂いが濃くなり、頭がくらくらし始める。まゆずみ。まゆずみ。まゆずみ。まゆずみ、だ。待ち焦がれていた人の姿を見た俺は、飼い主の帰りを待っていた犬のように歩みを進めて膝立ちになり、羞恥も抵抗も感じずに、炯々とした目で俺を見下ろす黛の服を掴んで顔を埋めていた。脳がビリビリと痺れ、期待に胸が膨らんでいく。黛の匂いを内からも外からも取り込んで欲の捌け口にしようとする俺の髪を、余裕のある手つきで優しく梳くように撫でた黛が、膝を折って俺の濡れた瞳をじっと見つめ、瀬那、と鼓膜に強すぎる刺激を与えた。すとんと腰が落ちる。力が抜ける。まゆずみ、と濡れた唇を動かせば、そこを指先で触られた。なぞられた。ゾクゾクとした何かが、背中を駆け抜ける。まゆずみだ。まゆずみ。まゆずみがいる。おれのまゆずみ。まゆずみが、おれをみている。まゆずみ。まゆずみ。まゆずみ。
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