殺すように、愛して。
 黛と入れ違うように病室に入ってきた看護師は、大丈夫ですか、と声をかけながら嘔吐いている俺を落ち着かせるように背中を摩ってくれた。その手にビクついてしまいながらも、慌てることなく慣れた手つきで処置をしてくれる看護師に助けられる。嘔吐する患者は少なくないのだろう。

 患者と考えて、自分は今、医療従事者にとって患者なのか、と他人事のように思った。死のうとした患者。死に切れなかった患者。誰が病院に搬送してくれたのかも、どのくらい意識を失くしていたのかも、俺は何も知らない。俺の目が覚めても顔色一つ変えなかった黛は、それまでの過程を口にしなかった。ただ、何かを察して、一言二言口にして、何かをしに出て行った。怜悧で勘のいい、洞察力のある黛のことだ。確実に気づいている。俺に番ができたことに、気づいている。その相手すら、見当がついているのかもしれない。

 黛に躊躇なんてない。兄だからと言って、手を緩めるはずがない。後を追わなければ。嫌な予感がむくむくと膨れ上がっていく。彼は死にかけた俺に興醒めしなかった。興醒めしていない。興醒めしていないのだ。関心がなくなっていれば、わざわざ病室に足を運ぶはずがないのだから。

 でも、彼はここにいた。ここで俺が覚醒するのを待っていた。それが、彼の意志は変わっていないという確固とした証拠のようなものなんじゃないか。俺が項を噛まれたら、噛んだ人をどうすると言っていたか。思い出すという働きをすることなく脳内に滑り込んできた迷いのない彼の言葉に、ぶるりと身を震わせる。死にたいあまり無駄に眠りこけていた俺は、結局死ねずに時間をもったいなく浪費しただけで。何度自分の行動を振り返ってみても、何かやり遂げられているとは思えなかった。何もできていなかった。何をしているのかも分からなかった。何がしたいのかも分からなかった。
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