殺すように、愛して。
 吐き気が落ち着いたと共に動悸も小さくはなっていたが、まだ確かに、普段よりも強く、心臓の鼓動を感じる。そして俺は、思い出したように自室に戻ろうと、感覚が麻痺しているみたいに力の出ない足を引き摺るようにして床に両手をつき、何の疑問も抱くことなく四足歩行で移動を開始した。その様子を目にした由良が、何してるの、と驚いたように声を上げたが、大丈夫、大丈夫、ちょっと、力が入らないだけ、と冗談でも言うような口調で誤魔化しておいた。嘘ではない。嘘は吐いていない。嘔吐してしまったから、嘔吐した後だから、体が本調子に戻っていないだけ。完全に回復したとは言えない。

「……やめて」

「え……」

「なんか、俺が、そうさせてるみたいな、悪いことしてるみたいな、気分になる、から」

「……由良?」

 やめて、と制してきた由良の顔を緩慢な動作で見上げようとするよりも先に、不意に腕を掴まれその手を由良の肩に回された。人間らしく二足で立たされ、腰を支えられる。由良はそれ以上口を開かなかった。由良、と呟いた俺の声に、聞こえなかったのか、彼が答えることはなかった。俺も口を閉ざす。俺を見ようとしない由良の横顔を、少し身長差があるために下から見て、すぐに視線を下げる。オメガであっても男の俺を、軽々と立たせ、歩かせる由良は、黛と同じアルファなのだと、なぜかそんな分かりきったことを再認識させられた。オメガの兄がいなければ、兄がオメガでなければ、アルファだったなら、由良が苦労することもなかったのかもしれないと、もう何度目か分からない卑屈に唇を引き結ぶ。お互いに何かを考え込むように、静かな時間が流れた。
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