殺すように、愛して。
 震える心臓を抑え、深呼吸をして意を決し、黛のいる教室に足を踏み入れれば、表情のない顔でこちらに目を向けた彼と視線が交わった。口は開かない。言葉を交わさない。お互いに無言のまま、俺は彼の側まで恐る恐る歩み寄った。黛はじっと俺を見ている。睨んでいるわけではない。ただ、見ているだけ。そこに何を思っているのかまでは、彼のことを何も知らない俺には想像できなかった。

「……黛、タオル、返す。なんで由良に託したのか分からないけど、ちゃんと洗っておいたから。あと、前、襲われかけてた時、黛にそのつもりはなかったかもしれないけど、その、助けてくれて、ありがとう。それから、そこ、俺の席、だよね」

 カバンから取り出した黛のスポーツタオルを差し出し、言いたいことを言える時に次から次へと一気に告げた俺は、着席していることでいつもより目線が低くなっている彼を見下ろした。俺を見上げる黛は、目が合っても自分から逸らすことはなく、ずっと、じっと、俺の挙動を観察するように、見ていた。怖いくらい、見ていた。不安になるほど、見ていた。

 聞こえているはずなのに反応を示してくれない黛に、この後自分はどうすればいいのか分からなくなる。席を譲ってくれるわけでも、タオルを受け取ってくれるわけでも、何か喋ってくれるわけでもなくて。落とした言葉が色をなくし、音もなく消え、それによって流れる沈黙があまりにも痛い。
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