息霊ーイキリョウー/長編ホラーミステリー
帰点と起点/その3
その夜、県外の旧友と会って帰りが遅くなった美津江は車を飛ばし、静町に入ったのは夜9時半過ぎだった。
この夜はやけに靄がかかり、山道の視界は極端に悪く、さすがに家の近くまで辿り着いたこともあり、スピードを30キロまで落として前方に気を配った走行を心がけていた。
「ふう…。すっかり遅くなっちゃったわ。仕方ないわよね、10年ぶりに会ったんですもの。こんな山奥に住んでりゃ、街中に出て昔の友人と食事しておしゃべりなんか、至極のひと時だって」
もうすぐ50歳になる大柄の美津江は、”仕方なく”住み続けている山中の我が家に向かう車内で、独り言としては規格外の大きな声でグチりながらも安全運転を心がけていた。
...
夜9時45分ちょうど‥、美津江の車は隠れ山トンネルに入った。
「全く…、何十年ここに住んでても、夜のこのトンネルは不気味だわ。特に今夜はひどい靄がかかってるし…。ああ、やだ…」
さすがに美津江は無意識にアクセルを吹かし、どうしてもスピードが加速される。
尾隠しの住人である美津江にとっても、このトンネルは1秒でも早く抜け出たい…、そんな気持ちに駆り立てるものがあったのだ。
...
ビューン…。
美津江の運転する白のワゴン車は隠山トンネルを抜け、左手の谷側に佇む尾隠し地蔵を通過した。
ここも夜通る時は、決して左を振り向かないように心がけていたが、どうしても視界の片隅に地蔵を取り囲む木々がかすめるのだ。
「ふー、やっと着いたわね…」
トンネルと地蔵‥、それはまさに地元の人間をも委縮させるおぞましいまでの存在感を今なお放ち続けていた。
そして…。
...
あと2分ほどで家に着く上り坂にさしかかったところ、前方から誰か人が歩いてくる…。
車のフロントガラス越しに美津江の視界が捉えたのは、白い靄の中を浮遊するように歩いている老人の正面姿だった。
「あら…、青屋根のおじさんじゃないの!」
キーン…。
向かって左側を歩く石毛老人とすれ違ったあと、美津江は運転するワゴン車を止め、数メートルバックした。
「おじさん…!こんな夜、どこ行くんです?」
左のウインドウを下ろして石毛に声をかけると、くぼんだ両の目をいっぱいに開いたその老人は、運転席の美津江を悟ったようだった。
「…美津江さんか?」
「ええ、今日は宇都宮でお友達と会って来て、今帰ってきたところなんです。今夜はひどい靄だし、出歩かない方がいいですよ」
「いや、地蔵んとこに忘れものしてな。取りに行かんと…」
そう言うと、石毛はすっと地蔵方面へと再び歩き出した。
美津江は慌てて車から降り、石毛の後方に駆け寄った。
...
「おじさんってば…、今夜はやめた方がいいですって!」
「いやいや、今夜行かねば…」
「ダメですって!今、高子さんに電話しますからね…」
美津江は地蔵方向へ歩き出そうとする石毛老人の肩に手を当てて制し、もう一方の手でポケットからケータイを取り出した。
一向に聞き分けようとしない様子を見かねて、その場でケータイから石毛の息子の嫁に当たる高子に電話をかけることにしたのだ。
プルルルーン、プルルルーン…。
「…あれ?ズボンのポケットから出てるそれ、何ですか?…ああ、とにかくおじさん、明日の昼間にねっ…」
この夜、石毛が履いていた作業ズボンの後ろのポケットから飛び出していたのは、どうやらひも状のようなものに見えた。
だが、何分ひどい靄で、ケータイ片手の美津江の角度からはっきりとは把握できなかったのだ。
その夜、県外の旧友と会って帰りが遅くなった美津江は車を飛ばし、静町に入ったのは夜9時半過ぎだった。
この夜はやけに靄がかかり、山道の視界は極端に悪く、さすがに家の近くまで辿り着いたこともあり、スピードを30キロまで落として前方に気を配った走行を心がけていた。
「ふう…。すっかり遅くなっちゃったわ。仕方ないわよね、10年ぶりに会ったんですもの。こんな山奥に住んでりゃ、街中に出て昔の友人と食事しておしゃべりなんか、至極のひと時だって」
もうすぐ50歳になる大柄の美津江は、”仕方なく”住み続けている山中の我が家に向かう車内で、独り言としては規格外の大きな声でグチりながらも安全運転を心がけていた。
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夜9時45分ちょうど‥、美津江の車は隠れ山トンネルに入った。
「全く…、何十年ここに住んでても、夜のこのトンネルは不気味だわ。特に今夜はひどい靄がかかってるし…。ああ、やだ…」
さすがに美津江は無意識にアクセルを吹かし、どうしてもスピードが加速される。
尾隠しの住人である美津江にとっても、このトンネルは1秒でも早く抜け出たい…、そんな気持ちに駆り立てるものがあったのだ。
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ビューン…。
美津江の運転する白のワゴン車は隠山トンネルを抜け、左手の谷側に佇む尾隠し地蔵を通過した。
ここも夜通る時は、決して左を振り向かないように心がけていたが、どうしても視界の片隅に地蔵を取り囲む木々がかすめるのだ。
「ふー、やっと着いたわね…」
トンネルと地蔵‥、それはまさに地元の人間をも委縮させるおぞましいまでの存在感を今なお放ち続けていた。
そして…。
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あと2分ほどで家に着く上り坂にさしかかったところ、前方から誰か人が歩いてくる…。
車のフロントガラス越しに美津江の視界が捉えたのは、白い靄の中を浮遊するように歩いている老人の正面姿だった。
「あら…、青屋根のおじさんじゃないの!」
キーン…。
向かって左側を歩く石毛老人とすれ違ったあと、美津江は運転するワゴン車を止め、数メートルバックした。
「おじさん…!こんな夜、どこ行くんです?」
左のウインドウを下ろして石毛に声をかけると、くぼんだ両の目をいっぱいに開いたその老人は、運転席の美津江を悟ったようだった。
「…美津江さんか?」
「ええ、今日は宇都宮でお友達と会って来て、今帰ってきたところなんです。今夜はひどい靄だし、出歩かない方がいいですよ」
「いや、地蔵んとこに忘れものしてな。取りに行かんと…」
そう言うと、石毛はすっと地蔵方面へと再び歩き出した。
美津江は慌てて車から降り、石毛の後方に駆け寄った。
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「おじさんってば…、今夜はやめた方がいいですって!」
「いやいや、今夜行かねば…」
「ダメですって!今、高子さんに電話しますからね…」
美津江は地蔵方向へ歩き出そうとする石毛老人の肩に手を当てて制し、もう一方の手でポケットからケータイを取り出した。
一向に聞き分けようとしない様子を見かねて、その場でケータイから石毛の息子の嫁に当たる高子に電話をかけることにしたのだ。
プルルルーン、プルルルーン…。
「…あれ?ズボンのポケットから出てるそれ、何ですか?…ああ、とにかくおじさん、明日の昼間にねっ…」
この夜、石毛が履いていた作業ズボンの後ろのポケットから飛び出していたのは、どうやらひも状のようなものに見えた。
だが、何分ひどい靄で、ケータイ片手の美津江の角度からはっきりとは把握できなかったのだ。