息霊ーイキリョウー/長編ホラーミステリー
帰点と起点/その5


ますます激しくなる靄の中…、美津江は時速10キロ程度の最徐行を保ちながら、首をこまめに左右させて注意深く石毛老人の姿を探していたが、見当たらない…。

「おかしいわ!もう追いついてるはずよ、いくら何でも…」

すでにケータイで電話をかけていた三番棚からは500メートルを超えていた。
美津江は平坦となった山道に出てからも、引き続きゆっくりと車を走らせた。

”杖も突かずに、こんな早く歩けるはずないわ!絶対変だよ、これ…”

美津江は募る一方の不安で、ハンドルを握る手はもうぶるぶる震ていた。

...


尾隠し地蔵まであと1キロを切ったところで、後ろからぼんやりと車のライトが届いた。

まもなく軽トラックが美津江の運転するワゴンのすぐ後ろまで追いついたところで、美津江は車を一時停車させた。
どうやらその軽トラは、高子の運転する車のようだった。
美津江は勢いよく運転席から降り、後ろの軽トラに走って行った。

「高子さん!いないのよ、おじさん…」

「えっ…?そんな…」

高子は即、美津江の言ってる意味が呑み込めた。

「杖、杖を持っていなかったのわよ、源蔵さん。歩けるようになったの?杖突かなくて…」

「ううん、無理よ、杖持たなきゃ。いつも杖の置いてある裏の縁側から出なかったから、今日は杖には気づかなかったけど…」

「もしかしたら、道端で倒れてることも考えれるわね。…じゃあ、高子さんは三番棚まで折り返して、道の両脇をもう一度しっかり探してみて。声をかけながらね」

「ええ、わかったわ。美津江さんは…?」

「私は地蔵まで行ってみる。他の車に拾われて連れて行ってもらった可能性もあるし。とにかく、何かあればすぐケータイでね…」

「うん。ゴメンナサイね、美津江さん…」

「いいのよ。お互い、こんな集落に嫁いだ者同士、こういう時は助け合わなきゃ。じゃあ、急ぎましょ」

美津江は極めて冷静にコトを捉え、高子にてきぱきと指示を与えた。
この時の美津江は、10歳近く年下の石毛家本家に嫁いだ”後輩”をリードする気構えの方が、恐いという気持ちより勝っていたのだ。

...


尾隠し地蔵へは1分ちょっとで到着した。

”車…、ないわ。すれ違った車もなかったし、源蔵さん、ここへは来てないのかしら…”

美津江は運転する車を一旦停車し、まずは道を挟んで右側の地蔵の周辺を見回してみた。
靄は若干収まったが、どうにも暗くて地蔵付近はほとんど目視が効かない…。
そこで、車の向きを移動させ、地蔵方向にヘッドライトを灯したこれで何とか地蔵周辺全体が見えていた。

美津江はエンジンを切って、運転席のウインドウを開けると、風にそよぐ木々の揺れる音が恐ろしいほど立体的に美津江の耳に入ってくる。

山深い夜、そこは静寂のざわめきがすべてを支配しているかのような空間だった。
その空間を埋め尽くす様で林立する木々に包まれるように、大昔からずっと不動のままこの地に立っている尾隠し地蔵は、後ろの大木たちが奏でる自然の静かな胎動を仕切る指揮者にも映る。

美津江は改めて夜の地蔵をその目に迎えたわずかな間、脳裏にはそんな感覚が巡っていた。
おそらく無意識に…。

...


彼女はやや戸惑いながらもここで、車を降りた。
恐い…、でもしかたない…。
この時の彼女は、一種の使命感で突き動かされていたのだ。

すると…、深い靄はいつの間にか、すっかり晴れていた。
そして道路の反対側まっすぐの地蔵に向かって、ゆっくりと歩を進め、蔵まで約2Mというところで一度立ち止まった。
ここで、彼女の両の目には、地蔵の左後ろにそびえ立つ杉の大木がドンと飛び込んできた。

「はっ!」

その時、美津江は、圧倒的な気を放つ杉の大木に”目を覚まされ”、元のモードに戻った。
その瞬間、彼女の視覚と聴覚を驚愕の2文字が襲った…。

”ガサガサガサ…”

”ううっー、ううーううー…”

先ほどまでの静寂のざわめきは掻き消え、聞きなれた世俗の人間の発する”行動音”が交差して、美津江の耳に生々しく届く。
さらに、およそ30度上方に顔を見上げた状態で固まっていた美津江の目には、その音と並行して、あきらかに人間の見慣れない奇怪な動作が展開されていた。

「!!!…」

美津江の思考はフリーズした。

”クウォーン…”

”ううっー、ううー、ううー”

痩せ細ったその老人の信じられない行動と、それによって発する声と音…。
それは世俗にまみれた一人の人間が、自然の条理に吸い込まれる瞬間と言っていい壮絶な光景だった…!






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