息霊ーイキリョウー/長編ホラーミステリー
死者の葛藤/その4
午前11時10分前…。
既に律子は向井祐二の家に到着していた。
待つこと5分ちょっと…。
黄色い軽自動車が、向井邸の決して広くない門の間からひょんという感じで飛び込んできた。
軽はすぐ停車し、運転席から向井月枝が降りた。
彼女はまず、玄関前の律子に視線を送った。
律子は両手を前に揃え、深く一礼していた。
月枝も同じく一礼した後、ゆっくりと律子に向かって歩いて行った。
...
「…律子さんね。向井祐二の叔母、向井月枝です。…まあ、なんてかわいらしいお嬢さんなの…」
「…津藤律子です。向井さん、この度は祐二さんがお気の毒なことで…。心からお悔やみを申し上げます」
既に月枝は目頭を熱くし、ハンカチで涙を拭っていた。
「ありがとうね…、律子さん。ああ、家の中入りましょう。話は祐ちゃんの部屋で…。さあ、どうぞ…」
律子は月枝の後ろについて歩き、祐二の家に入った。
そして、玄関側に面した和室6畳の祐二の部屋へと案内された。
...
「今、雨戸をあけるわね」
数秒後、外からの陽射しは水門を放たれた貯水のように、部屋になだれ込むだ。
すると、今まで視界に映らなかった蜘蛛の巣や床に寝転んでいる虫たちのミイラが素を晒していた…。
律子にはこの部屋が明るくなった実感はなかった。
全く…。
”主を失ったこの部屋の本当の姿は、見た目の日差しなんかじゃ変えられないよ…”
雨戸が閉まって照明が落ちた静かな無人空間…。
それがこの部屋の真のあり方だと、この時点の律子は決めこんでいた。
...
二人は隅にあった座布団を窓側に敷き、斜め正面を向き合った形で腰を下ろした。
「…私は祐二さんのこのバイクを、ネットオークションで落札して譲り受けた者です。亡くなる前の日に、首を括る決心をしていた場所で…」
「律子さん…、昨日電話で話した手紙には、そのことも書いてあったわ。遺書は別に家に残してあったし、これはあなたに対しての彼の想いと願いを書き残したものになるわ」
「向井さん…。私、いろいろ調べたし、もう祐二さんと紡がれていたことは気づいています。心の準備は整っていますので…」
「そう…。じゃあ、余分なことは後にして、手紙、読んでみる?」
「はい。お願いします!」
律子の目は早くも潤んでいた。
...
座布団に正座してその手紙に目を通す律子は、4枚の便箋を何度も何度も差し替えながら、さし詰め読み漁るといった様相だった。
いや、当の律子からすれば読むというよりは、”解読”の作業と言った方がふさわしかったかもしれない。
その間…、涙は止められなかった。
律子が流した涙の意味は、全部の感情が込められてのものと言えた。
悲しみ、怒り、悔しさ、寂しさ、喜び…、要は言い切れないほどのたくさんの想いが湧き起っていた由縁のものだったのだろう…。
”意識しては、たった一度しか会っていないのに…。なぜ、こんな多くの感情がこみ上がってくるの…”
だが、今目にしている祐二の残した手紙に書かれていたこと、それがそのまま彼女への答えだった。
...
午前11時10分…、秋川はチラッと腕時計で時間を確認し、同業者をクロージングする時間配分をざっと図っていた。
”さすが地元の警察官だけに、煙の背後の建物が市の図書館だとすぐに分かったようだ。よし、ここで一気に詰めよう”
「そのOL…、津藤律子という名の女性ですが、おそらくは昨日何らかの目的でこちらの図書館を訪れ、彼女もその騒ぎが起こった時、現場にいたんだと思います。そして、その動画の撮影主に頼んで自分のケータイに転送してもらった。その律子は今、群馬在住の祐二の叔母に会っています」
ここで碓井はメモを取る手を休め、”何だって?”といった表情で正面の二人に目線を向けた。
「そして、祐二が死の直前、書きしたため叔母に郵送した手紙を目にしているでしょう。その手紙の要旨は祐二が律子を案じた想いと願いでした。…ここに来る前、私はその手紙を読んできたんです…」
「秋川さん、それで一体、ウチの署には何を…」
「間もなく向井さんから連絡が来ます。津藤律子と我々が会う段取りをつけて…。たぶん、今日、向井祐二の家でとなるでしょう。そこに碓井さんにも立ち会っていただきたい」
「…返事の前に、その理由をお聞かせいただけますか」
「単刀直入に申し上げます。少なくとも、律子の隣人が死んだヤマは、”別部屋”に流す判断を下さざるを得ない可能性が高い」
ここで、明らかに碓井は怪訝な顔つきに豹変した。
もっとも、秋川はそれを承知で切り出したのだが…。
”別部屋”の3文字が、現役のデカにとってどれほど究極のNGワードであるか、秋川は十分すぎるほどわかっていたのだ。
午前11時10分前…。
既に律子は向井祐二の家に到着していた。
待つこと5分ちょっと…。
黄色い軽自動車が、向井邸の決して広くない門の間からひょんという感じで飛び込んできた。
軽はすぐ停車し、運転席から向井月枝が降りた。
彼女はまず、玄関前の律子に視線を送った。
律子は両手を前に揃え、深く一礼していた。
月枝も同じく一礼した後、ゆっくりと律子に向かって歩いて行った。
...
「…律子さんね。向井祐二の叔母、向井月枝です。…まあ、なんてかわいらしいお嬢さんなの…」
「…津藤律子です。向井さん、この度は祐二さんがお気の毒なことで…。心からお悔やみを申し上げます」
既に月枝は目頭を熱くし、ハンカチで涙を拭っていた。
「ありがとうね…、律子さん。ああ、家の中入りましょう。話は祐ちゃんの部屋で…。さあ、どうぞ…」
律子は月枝の後ろについて歩き、祐二の家に入った。
そして、玄関側に面した和室6畳の祐二の部屋へと案内された。
...
「今、雨戸をあけるわね」
数秒後、外からの陽射しは水門を放たれた貯水のように、部屋になだれ込むだ。
すると、今まで視界に映らなかった蜘蛛の巣や床に寝転んでいる虫たちのミイラが素を晒していた…。
律子にはこの部屋が明るくなった実感はなかった。
全く…。
”主を失ったこの部屋の本当の姿は、見た目の日差しなんかじゃ変えられないよ…”
雨戸が閉まって照明が落ちた静かな無人空間…。
それがこの部屋の真のあり方だと、この時点の律子は決めこんでいた。
...
二人は隅にあった座布団を窓側に敷き、斜め正面を向き合った形で腰を下ろした。
「…私は祐二さんのこのバイクを、ネットオークションで落札して譲り受けた者です。亡くなる前の日に、首を括る決心をしていた場所で…」
「律子さん…、昨日電話で話した手紙には、そのことも書いてあったわ。遺書は別に家に残してあったし、これはあなたに対しての彼の想いと願いを書き残したものになるわ」
「向井さん…。私、いろいろ調べたし、もう祐二さんと紡がれていたことは気づいています。心の準備は整っていますので…」
「そう…。じゃあ、余分なことは後にして、手紙、読んでみる?」
「はい。お願いします!」
律子の目は早くも潤んでいた。
...
座布団に正座してその手紙に目を通す律子は、4枚の便箋を何度も何度も差し替えながら、さし詰め読み漁るといった様相だった。
いや、当の律子からすれば読むというよりは、”解読”の作業と言った方がふさわしかったかもしれない。
その間…、涙は止められなかった。
律子が流した涙の意味は、全部の感情が込められてのものと言えた。
悲しみ、怒り、悔しさ、寂しさ、喜び…、要は言い切れないほどのたくさんの想いが湧き起っていた由縁のものだったのだろう…。
”意識しては、たった一度しか会っていないのに…。なぜ、こんな多くの感情がこみ上がってくるの…”
だが、今目にしている祐二の残した手紙に書かれていたこと、それがそのまま彼女への答えだった。
...
午前11時10分…、秋川はチラッと腕時計で時間を確認し、同業者をクロージングする時間配分をざっと図っていた。
”さすが地元の警察官だけに、煙の背後の建物が市の図書館だとすぐに分かったようだ。よし、ここで一気に詰めよう”
「そのOL…、津藤律子という名の女性ですが、おそらくは昨日何らかの目的でこちらの図書館を訪れ、彼女もその騒ぎが起こった時、現場にいたんだと思います。そして、その動画の撮影主に頼んで自分のケータイに転送してもらった。その律子は今、群馬在住の祐二の叔母に会っています」
ここで碓井はメモを取る手を休め、”何だって?”といった表情で正面の二人に目線を向けた。
「そして、祐二が死の直前、書きしたため叔母に郵送した手紙を目にしているでしょう。その手紙の要旨は祐二が律子を案じた想いと願いでした。…ここに来る前、私はその手紙を読んできたんです…」
「秋川さん、それで一体、ウチの署には何を…」
「間もなく向井さんから連絡が来ます。津藤律子と我々が会う段取りをつけて…。たぶん、今日、向井祐二の家でとなるでしょう。そこに碓井さんにも立ち会っていただきたい」
「…返事の前に、その理由をお聞かせいただけますか」
「単刀直入に申し上げます。少なくとも、律子の隣人が死んだヤマは、”別部屋”に流す判断を下さざるを得ない可能性が高い」
ここで、明らかに碓井は怪訝な顔つきに豹変した。
もっとも、秋川はそれを承知で切り出したのだが…。
”別部屋”の3文字が、現役のデカにとってどれほど究極のNGワードであるか、秋川は十分すぎるほどわかっていたのだ。