みっきーの恋活日誌
第二話 疑似恋愛
充希は、今日で何回目かのため息をついた。
アプリで気になる人がいるのだが、なかなか、いいね返しができない。
いつも今日こそは、と思うのだが、実際知らない人とやりとりを始めるのは勇気がいる。
プロフィール通りの人ならいいけど、嘘書いてるかもしれないし、下手すると犯罪に巻き込まれる可能性だってゼロじゃない。
「なに、どしたの、松本さん、悩み事?」
気付くと目の前に眼鏡をかけた人懐こい見慣れた顔の男がいる。
近い、近すぎる。
充希は少し顔を引いた。
元はと言えば、こいつのせいでもあるのだ。
飯島和也、45歳、バツイチ子無し。職場の同僚。
人と話すときの距離が、一般的な人よりかなり近い。
おまけに触る。
いやらしい意味ではなく、さりげなく触る。
今もだ。
「相談のるよー。僕でよければ」
と言いつつ、肩をぽんぽんする。
介護職にありがちだが、こういうことが、さっとできてしまうのだ。
こいつのこんな態度に、どれだけ翻弄されたことか。
苦々しく思いながらも、どうしても憎めない。
飯島くんは誰にでも優しいだけなのだ。
「あるよ、悩み事。聞いてくれるの?」
「きくきくー」
飯島は今度は隣のデスクの椅子を引き寄せて、充希の前に陣取った。
「あのね、婚活アプリに、」
「えっ、こんか、」
しっ、と制した充希の様子に、声をひそめる飯島は、あたりを見回すも、今は事務所に二人きりだ。
「内緒にしといてね、恥ずかしいから」
飯島は、うんうんと二回ほど頷く。
「婚活アプリ登録したのね。でも、相手からいいねは来てるけど、返す勇気無くて」
「ああ、僕の友達も、アプリ婚したけど、今多いみたいですよ。会ってみたかったら、返事してみたらどうですかね」
「うん。まあ。でも私の姿見たら、逃げないかな。こんなおばちゃんがアプリなんて」
飯島は今度は二回ほど首を横に振る。
「なに言ってんですか。年齢なんて関係ないですよ」
「そ、そう?」
「がんばってください。人生楽しまなきゃ」
「そうだね、がんばる」
「いい結果でるといいですね」
「うん」
「あ、そうだ。新規来てますよ。僕担当しますけど、オビ入るみたいだから、松本さんも同行指導お願いするかもです。よろしく」
「はい、了解です。」
さてさて、書類は、と、と言いながら、飯島は自分のデスクに戻って行った。
その背中を充希はじっと見る。
背はそれほど高くはないが、ジムに通って鍛えているという体はかなりがっしりしている。
誰にでも愛想が良くて、困ってる人をほっておけない性格で、服装はやや派手。
顔も含めて若干個性的だ。
充希がこの会社に転職したとき、その2年ほど前から務めていた飯島に指導を受けた。
最初から好印象であったが、いつのまにか男としても好きになっていた。
好きだと意識してもう3年以上過ぎたが、なんの進展もない。
もちろん職場の同僚だから、告白するわけにはいかなかったけど、充希はそれとなく気持ちを伝え続けてきた。
飯島は優しい。
多分、充希の気持には薄々気付いているのだろうが、気付かないふりをしているのだ。
そして、飯島との会話の中で登場する一人の女性。
飯島もおそらくその人に片想いしているのだ。
いつか振り向いてくれるかも、もしかしたら私のこと好きかも、と飯島自身は悪気は無いのだろうが、そういうふうに思わせてしまうタイプの優しさを持った男だった。
片想いは半年以上するものじゃないと誰かに聞いた気がするが、今は本当にそう思う。
半年たっても何も進展なければ、ずっとそのままなのだ。
嫌いになったわけではない。
好きだからあきらめようとしているのだ。
見返りを求めるのは、愛じゃないなんて、きれいごとだ。
愛したら、愛されたい。
見返りではなく、相手にされたいのだ。
さっきの私のあの告白は、言わば最後通牒のつもりだった。
少しでも私に気持ちがあるなら、止めてくれるはずだ。
そう、少女漫画みたいに、ドラマみたいに、僕じゃだめなの?って。
わかっていたけど、やはり胸がちくっとした。
その日の夜、充希は初めての、いいね、を押した。
返事はすぐに来た。
「いいね、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
あ、ほんとに来た。
充希は胸がドキドキするのを感じた。
こういう感じは、なんだか久しぶりだ。
「こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします。」
「僕、こういうアプリ初めてで、慣れないのです。みっきーさんは?」
「私も実は初めてで、いいねを押したのもはじめてなんです」
「同じですね。うれしい」
「そうですね。私もです」
「お仕事はなにをされているんですか?」
「介護職を」
「え、ほんとですか?僕もです。高齢者施設の施設長してます。」
「まあ、同業でしたか。私は訪問介護でサービス提供責任者してます」
「同業だと、なんか安心ですね」
「はい、うれしいです」
「いろいろもっとお話ししたいのですが」
「私もです」
「あの、あと少し会話すると、課金がついてしまうので、メールかラインでお話できるといいのですけど」
「あら、そうなんですか?知らなかったです。ではライン交換しましょうか」
ライン交換時、本名をお互い明かした。
相手は、松田 康弘。年齢49歳。写真では面長でやややせ型。イケメンではなさそうだが、優しそうだ。
写真を見たいと書いてきたので、補修はしていないが、まあまあ写りのいいものを一枚送った。
同業なので、ラインでやり取りしても話が尽きることがない。
年齢も充希の二つ上で世代が同じだから、昔聞いた音楽でも見た映画でも話が尽きなかった。
充希は彼のことを、松田さん、と呼ぶ。
彼は充希のことを、ハンドルネームのまま、みっきーさんと呼んだ。
松田さんは毎日忙しいらしく、充希とラインするのは、土曜日夜か、日曜日だけだった。
充希は物足りなかったが、それでも一週間に一度のラインは一時間以上続くので、この人のペースはこんな感じなのだなと納得した。
週に一度のその時間は充希にとって大切なものになりつつある。
「今なにしてるの?」
と土曜日の夜にいつものように連絡が入る。
「テレビ見てる」
「何見てるの?」
「8チャン」
「僕もそれ見てた」
「この人のコーナー面白いよね」
「そうだね」
「あ、ここ行ったことある」
充希がそう送ると、松田は、
「僕は無いなあ。おいしいの?」
「うーん、そでもなかった」
「そうなのかあ」
しばらく何気ない会話のラリーが続いた後、突然松田が写メを送ってきた。
年配の女性と充希より少し年上の女性の写真だ。
「僕の母と姉。先週一緒に出掛けたんだ」
「そうなの。お母さんとお姉さんなんだね」
何気なく答えたものの、充希は嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「今度会わせるよ」
「うん」
松田の誠実な気持ちが伝わってきて、ますます好きになりそうだ。
でも怖い。
まだ一度も実際会ってはいないのだ。
週に一度のラインではなかなか話が進んでいかない。
でも充希はそれでいいと思っていた。
こうしてやり取りしていると、なんだか恋人になった気分だ。
好きな食べ物聞いたり、仕事の話したり、趣味の話をしたり。
私たちにはたくさんの共通点がある。
そしてアプリで初めて仲良くなった、唯一の人。
松田も私が初めての相手だと言ってくれている。
苗字だって似ている。
松本充希が、松田充希になるだけだと思いつつ、気が早いかなと笑ってしまう。
運命の人かもしれない。こんなにも早く見つかるものだろうか。
充希はもう婚活アプリを開くことさえしなくなった。
松田に悪いと思うからだ。
初めて松田にいいねを返した日からひと月ほど経って、二人は会うことになった。
充希は、今日で何回目かのため息をついた。
アプリで気になる人がいるのだが、なかなか、いいね返しができない。
いつも今日こそは、と思うのだが、実際知らない人とやりとりを始めるのは勇気がいる。
プロフィール通りの人ならいいけど、嘘書いてるかもしれないし、下手すると犯罪に巻き込まれる可能性だってゼロじゃない。
「なに、どしたの、松本さん、悩み事?」
気付くと目の前に眼鏡をかけた人懐こい見慣れた顔の男がいる。
近い、近すぎる。
充希は少し顔を引いた。
元はと言えば、こいつのせいでもあるのだ。
飯島和也、45歳、バツイチ子無し。職場の同僚。
人と話すときの距離が、一般的な人よりかなり近い。
おまけに触る。
いやらしい意味ではなく、さりげなく触る。
今もだ。
「相談のるよー。僕でよければ」
と言いつつ、肩をぽんぽんする。
介護職にありがちだが、こういうことが、さっとできてしまうのだ。
こいつのこんな態度に、どれだけ翻弄されたことか。
苦々しく思いながらも、どうしても憎めない。
飯島くんは誰にでも優しいだけなのだ。
「あるよ、悩み事。聞いてくれるの?」
「きくきくー」
飯島は今度は隣のデスクの椅子を引き寄せて、充希の前に陣取った。
「あのね、婚活アプリに、」
「えっ、こんか、」
しっ、と制した充希の様子に、声をひそめる飯島は、あたりを見回すも、今は事務所に二人きりだ。
「内緒にしといてね、恥ずかしいから」
飯島は、うんうんと二回ほど頷く。
「婚活アプリ登録したのね。でも、相手からいいねは来てるけど、返す勇気無くて」
「ああ、僕の友達も、アプリ婚したけど、今多いみたいですよ。会ってみたかったら、返事してみたらどうですかね」
「うん。まあ。でも私の姿見たら、逃げないかな。こんなおばちゃんがアプリなんて」
飯島は今度は二回ほど首を横に振る。
「なに言ってんですか。年齢なんて関係ないですよ」
「そ、そう?」
「がんばってください。人生楽しまなきゃ」
「そうだね、がんばる」
「いい結果でるといいですね」
「うん」
「あ、そうだ。新規来てますよ。僕担当しますけど、オビ入るみたいだから、松本さんも同行指導お願いするかもです。よろしく」
「はい、了解です。」
さてさて、書類は、と、と言いながら、飯島は自分のデスクに戻って行った。
その背中を充希はじっと見る。
背はそれほど高くはないが、ジムに通って鍛えているという体はかなりがっしりしている。
誰にでも愛想が良くて、困ってる人をほっておけない性格で、服装はやや派手。
顔も含めて若干個性的だ。
充希がこの会社に転職したとき、その2年ほど前から務めていた飯島に指導を受けた。
最初から好印象であったが、いつのまにか男としても好きになっていた。
好きだと意識してもう3年以上過ぎたが、なんの進展もない。
もちろん職場の同僚だから、告白するわけにはいかなかったけど、充希はそれとなく気持ちを伝え続けてきた。
飯島は優しい。
多分、充希の気持には薄々気付いているのだろうが、気付かないふりをしているのだ。
そして、飯島との会話の中で登場する一人の女性。
飯島もおそらくその人に片想いしているのだ。
いつか振り向いてくれるかも、もしかしたら私のこと好きかも、と飯島自身は悪気は無いのだろうが、そういうふうに思わせてしまうタイプの優しさを持った男だった。
片想いは半年以上するものじゃないと誰かに聞いた気がするが、今は本当にそう思う。
半年たっても何も進展なければ、ずっとそのままなのだ。
嫌いになったわけではない。
好きだからあきらめようとしているのだ。
見返りを求めるのは、愛じゃないなんて、きれいごとだ。
愛したら、愛されたい。
見返りではなく、相手にされたいのだ。
さっきの私のあの告白は、言わば最後通牒のつもりだった。
少しでも私に気持ちがあるなら、止めてくれるはずだ。
そう、少女漫画みたいに、ドラマみたいに、僕じゃだめなの?って。
わかっていたけど、やはり胸がちくっとした。
その日の夜、充希は初めての、いいね、を押した。
返事はすぐに来た。
「いいね、ありがとうございます。よろしくお願いします。」
あ、ほんとに来た。
充希は胸がドキドキするのを感じた。
こういう感じは、なんだか久しぶりだ。
「こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします。」
「僕、こういうアプリ初めてで、慣れないのです。みっきーさんは?」
「私も実は初めてで、いいねを押したのもはじめてなんです」
「同じですね。うれしい」
「そうですね。私もです」
「お仕事はなにをされているんですか?」
「介護職を」
「え、ほんとですか?僕もです。高齢者施設の施設長してます。」
「まあ、同業でしたか。私は訪問介護でサービス提供責任者してます」
「同業だと、なんか安心ですね」
「はい、うれしいです」
「いろいろもっとお話ししたいのですが」
「私もです」
「あの、あと少し会話すると、課金がついてしまうので、メールかラインでお話できるといいのですけど」
「あら、そうなんですか?知らなかったです。ではライン交換しましょうか」
ライン交換時、本名をお互い明かした。
相手は、松田 康弘。年齢49歳。写真では面長でやややせ型。イケメンではなさそうだが、優しそうだ。
写真を見たいと書いてきたので、補修はしていないが、まあまあ写りのいいものを一枚送った。
同業なので、ラインでやり取りしても話が尽きることがない。
年齢も充希の二つ上で世代が同じだから、昔聞いた音楽でも見た映画でも話が尽きなかった。
充希は彼のことを、松田さん、と呼ぶ。
彼は充希のことを、ハンドルネームのまま、みっきーさんと呼んだ。
松田さんは毎日忙しいらしく、充希とラインするのは、土曜日夜か、日曜日だけだった。
充希は物足りなかったが、それでも一週間に一度のラインは一時間以上続くので、この人のペースはこんな感じなのだなと納得した。
週に一度のその時間は充希にとって大切なものになりつつある。
「今なにしてるの?」
と土曜日の夜にいつものように連絡が入る。
「テレビ見てる」
「何見てるの?」
「8チャン」
「僕もそれ見てた」
「この人のコーナー面白いよね」
「そうだね」
「あ、ここ行ったことある」
充希がそう送ると、松田は、
「僕は無いなあ。おいしいの?」
「うーん、そでもなかった」
「そうなのかあ」
しばらく何気ない会話のラリーが続いた後、突然松田が写メを送ってきた。
年配の女性と充希より少し年上の女性の写真だ。
「僕の母と姉。先週一緒に出掛けたんだ」
「そうなの。お母さんとお姉さんなんだね」
何気なく答えたものの、充希は嬉しい気持ちでいっぱいになった。
「今度会わせるよ」
「うん」
松田の誠実な気持ちが伝わってきて、ますます好きになりそうだ。
でも怖い。
まだ一度も実際会ってはいないのだ。
週に一度のラインではなかなか話が進んでいかない。
でも充希はそれでいいと思っていた。
こうしてやり取りしていると、なんだか恋人になった気分だ。
好きな食べ物聞いたり、仕事の話したり、趣味の話をしたり。
私たちにはたくさんの共通点がある。
そしてアプリで初めて仲良くなった、唯一の人。
松田も私が初めての相手だと言ってくれている。
苗字だって似ている。
松本充希が、松田充希になるだけだと思いつつ、気が早いかなと笑ってしまう。
運命の人かもしれない。こんなにも早く見つかるものだろうか。
充希はもう婚活アプリを開くことさえしなくなった。
松田に悪いと思うからだ。
初めて松田にいいねを返した日からひと月ほど経って、二人は会うことになった。