瞳の中の住人
「私。にんじんがきらいだったんです。それを食べさせるために兄が説得してくれて」

「食べた方がいい、と?」

「いえ。本当に、子供だましなんですけど。“にんじんは魔族で悪者で、たおすべき存在だから、私が歯でかみ砕かなくちゃいけない”と」

「なんですか、それ」白石刀哉がどこか嬉しそうに笑った。

「兄のつくり話なんですけどね。“戦いに苦しみはつきものだ、だからかみ砕いているあいだは不味くてつらいかもしれないけど、負けちゃだめなんだ。綾音はつよいから勝てるよな”って」

 私をその気にさせるためとは言え、真剣な表情をする兄を思い出すと少しだけ笑ってしまう。

「優しいお兄さんだったんですね。綾音さんを大切に思っていたんだと思います」

「ええ」

 妹として。自らでそう補足し、胸の内がじわりと湿り気を帯びた。

「今はもう食べられますけどね」

 彼がきょとんとするので、「にんじんです」と言い足した。

 それから白石刀哉とは不思議な関係がつづいた。もともとは兄の友人なので、友達と呼ぶのは変だし、知人でくくるのはよそよそしい。
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