裏側の恋人たち
「自然の中を歩いてるって感じでいいですね-。気持ちいい、心が洗われます」
駐車場に車を置いて遊歩道を大将と並んで歩く。
「先月はもっと田舎に行ってたんだろ。あの日本酒を送ってくれたところ」
「そうなんですけどねー、あの時洗われた心がもう汚れてるので、今日洗えてよかったです」
「なんかあったのか?」
ん?と眉を上げて私をみる。
「そりゃいろいろありますよ。いい年ですし」
歩いて行くと高台にある見晴台に出た。
こちらは途中に通った小高い丘の広場と違ってひと気が無い。
あちらは芝生広場や花壇、遊具があって保育園の遠足や小さい子どもを連れたご夫婦、年配の人たちなどがいてそれなりに賑わっていたけれど。
平日の昼間だしね。
「船が見えますよ。わぁ、ロケーション最高」
目の前の海は日差しを浴びてキラキラ光り、浦賀水道を航行する船が見える。
おまけに隣にいるのは大将。しかも私服。
ああ、神様ありがとうございます。
明日からのお仕事も頑張らせて頂きます。
お祈りポーズで目を閉じ神に感謝をしていると
「ふみかはたまに意味不明な行動をするな」と隣から呆れた声がした。
「どうぞお気になさらず。今神に感謝をしているので」
「心が汚れるほど日々いろいろあるのに感謝?」
「日々いろいろありますけど、今日のこれは感謝すべき出来事なんです」
「まだ海産物食べてないから感謝は早いと思うぞ」
ふっと鼻で笑われたけれど、ご褒美は海鮮じゃなくて大将だとは言えない。
でも、わたしってどれだけ酒と食欲で生きていると思われているんだろう。確かにそう思われても仕方が無い心当たりがあることだらけだけど。
大将や吉乃の前では呼吸が楽だ。
当たり前だけど、大将や吉乃は私のことを女神だなんて思ってない。
女神を装って仕事をしているわけじゃないけれど、勝手なイメージで24時間自分たちが思う女神像を押しつけられるといい加減に辛くなる。
あと、30をちょっと過ぎただけで自分で結婚相手を見つけられない女みたいな扱いをするのはやめて欲しい。
「頑張っているわけじゃなくても、女神だなんて言われたら荷が重いし苦しいだけなんですよね」
「ーーーそんなこと誰に言われた。女神なんて言ってるのはあの男か」
海に向かって愚痴ったら急に左の手首を握られ、びっくりして振り向くと目の前に真剣な表情をした大将の顔があった。
「あ、あの、大将?」
「ふみか、そんなこと言ってお前を追い詰めてるのは誰だ、あの図体のでかい男なのか」
あの男?
図体のでかいあの男ってーーー心当たりのでかい男はクマ先生しかいない。
「大将、どうしてそんなこと知ってるんです?お知り合いーーってことはないでしょうし」
握られた手首が持ち上げられて更に大将の顔が近付いてきた。
どうしよう、なんか怒ってるみたい。
「どうして自分の本当の姿を見せられないような男と付き合ってるんだ。そんなのふみかが苦労するだけだろうが」
えーーー
ちょっと理解が追いつかない。
いま全然そんな話じゃなかったと思うんだけど。思い切り誤解されてる。
「なんで、どうして、そんな男を選んだのかって聞いてる。好きなのか?そんなに自分を追い詰めるような男のことが好きなのか」
「えっと、それが福岡先生のことを言っているのなら・・・付き合って欲しいとは言われたけど、まだいいひとーーー」
「だったら、俺にしろ」
話している途中で遮られ、ぎゅうっと抱え込むように抱きしめられた。
ふわりと嗅いだことのない大将の使うシャンプーの匂いがしてくらっとする。
わけのわからない状況に体温と心拍数がどんどん上昇していく。
「そんな男より俺にしとけ」
耳元で囁かれ、大将の吐息が耳にかかり腰が抜けそう。
分厚い胸板に密着して、初めての距離ゼロ感にどうしていいかわからない。
誤解、誤解ーーー
誤解ですという言葉は頭の中をぐるぐるとまわるだけで唇にまで下りてこず、ただ混乱していた。
『俺にしとけ』なんてひどい言葉だ、私は大将がいいに決まってる。
「ふみか、うんと言え」
そんなこと許されるの。
私はただの後輩じゃなかったの。
「ほら、早く」
声を出すことは出来ずそっと大将の背中に手を回し首筋に顔を埋める。
「ーーーああ、それでいい」
私を抱く大将の腕に更に力が入った。