裏側の恋人たち
「桐生君。さっきのアレ、おばさんたちの冗談だから。それに乗っかって桐生君もその場ののりで悪い冗談を言わないで。もうこれでこの話は終わり。お代わりの日本酒お願い。わたしは獺祭でふみかは菊姫。冷やでよろしく」

「待ってください。俺のは冗談じゃないです」

バッサリと打ち切る吉乃に桐生君の顔色が変わった。

「こんな時にこんな風に話しかけたのは悪かったと思います。でも、俺は本気ですからーーー」
「おっと、ストップ。止まれ、実矢」

カウンターにいたはずの大将がテーブル席まで来て桐生君を止めてくれた。

夕方の早い時間とはいえ、店内には他の客が数人いて私たちの話も聞こえていただろう。

「お前、これは客商売としてアウト。今夜はもう表に出てくるな。奥で皿洗いと在庫確認」

大将に背中を押され桐生君は「ハイ、すみません。軽率でした。お二人も申し訳ありませんでした」
桐生君は素直に頭を下げる。

「でも、俺本気ですから」
奥に戻る前にそんなことを言ったものだから大将にげんこつをおとされていたけれども。

「吉乃もふみかもすまないな。今夜は俺の奢りだから帰るとかもう来ないとか言わないでくれよ」

「いいえー、こんなことくらいで奢りだなんて言わなくても大丈夫ですよ?」
「大将に頭下げられちゃうと恐縮するんでやめてください」

大将はわたしと吉乃の高校の先輩である。
知り合いの店だからこそ普段わたしも吉乃も女ひとりでも安心して来ているのだし、来なくなるって事はない。
特にわたしがこの場所を失ったら夕食難民になること間違いなし。

大将は桐生君が奥に入ったことを横目で確認すると小声を出した。

「実はな、アイツが吉乃に気があることは気が付いていたんだよ。ありゃたぶん一目惚れだ」

おおー!
変な声を出しそうになって慌てて口を押さえた。吉乃の方は目を丸くしている。

「一目惚れっていうことはもう2年とか?まさか」

桐生君がバイトにくるようになったのは2年くらい前だと思うんだけど。
確認のため大将を見ると頷いている。やっぱりか。

「年上のお姉さんに憧れるなんて男は誰もが一度は経験することだからと思ってたんだが、アイツの場合は憧れ以上だったのかもしれねえな」

「そんなことを言われてもですね・・・・・・」

困惑している吉乃に大将は豪快に笑った。

「仕事中に客の話を聞いて迫るとかは許せねえけど、それ以外の時は話を聞いてやってくれないか。悪い奴じゃないんだ。真面目に勉強しに来てる。人柄も保証する。もうじき自分の店を開くからここを辞めるっていうのも本当の話だ」

はあ、と吉乃はイエスでもノーでもない返事をした。
そりゃあいきなりこんなこと言われて困惑する気持ちはわかる。

「悪かったな、今夜はもうアイツを表に出さないから帰るなんて言わないでゆっくり飲んでいってくれ」

先輩に言われてはあーいと頷き苦笑した。


それからいつものように飲み食いしたけど、吉乃が挙動不審になってしまい笑ってしまった。

「ちょっと笑わないでよ、ふみかだって同じ目に遭ったらこうなるから」

うんうん、そうだろうね。
わたしなんてここ数年恋愛はご無沙汰だからもっと酷くなりそう。

「いいじゃない、考えてあげなよ。勤務態度真面目だったし、結婚云々じゃなくてお友達とか。吉乃みたいな営業職は別業種の若い子と話すだけで仕事面でもいい影響受けるんでしょ」

「でもさ、向こうが好意を持ってくれるのわかってて友達になりましょうなんて期待させるようなことするわけにいかないから」

ああそっか。
そうだよね。

この話はここで終わり、私たちはいつものようにくだらない話と美味しいお酒を飲んで帰宅した。
勿論大将の奢りだった。ラッキー。


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